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 第三章 明治期の産業・経済
   第二節 絹織物業の勃興
    一 草創期の絹織物業
      明治初年の県下物産
 明治初年の福井県の物産状況は、すでに第三章第一節一で述べられているが、他府県と比べ農村の小商品生産の進展度は高く、どちらかといえば近畿圏の農村と類似していた。すなわち、明治七年(一八七四)の「府県物産表」によれば、福井県(当時は敦賀県)においては、菜種・麻類など特殊農産物は農産物生産価額の約四八パーセントを占めており、また、総生産価額中に占める工産物価額の比率は三二パーセントと比較的高く、全国三府六〇県中一三位であった。この工産物価額のうち醸造が一位で総生産価額の六・七パーセントを占め、以下二位金属加工四・三パーセント、三位織物三・六パーセント、四位油二・一パーセントの順であったが、織物の占める比率は全国平均をやや下回っていた。表122は、明治七年「府県物産表」から敦賀県の織物生産量と金額を示したものであるが、金額では蚊帳・布の麻織物が約一四万円であり、ついで奉書紬、木綿織物類の順であった。

表122 敦賀県主要級物生産(明治7年)

表122 敦賀県主要級物生産(明治7年)

表123 足羽県郡別織物関係生産徒事村数(明治5年)

表123 足羽県郡別織物関係生産徒事村数(明治5年)
 また、四年十二月から六年一月まで嶺北の足羽・吉田・坂井・大野・丹生の五郡は足羽県であったが、その時の物産の村別生産状況を示す『足羽県地理誌』は、農村部での織物関係の商品生産の広範な存在を明らかにしている。表123によれば、桑・繭・生糸を生産する村むらは足羽県全村の四六パーセントを、麻・苧・苧などの麻関係や木綿関係もそれぞれ四一パーセントと二八パーセントを占めている。これを郡別でみると桑・繭・生糸は大野郡の全村の八二パーセントの、丹生郡の六三パーセントの村むらが、麻関係では足羽郡の八〇パーセント、吉田郡の七二パーセント、木綿関係では坂井郡の四九パーセント、丹生郡の三二パーセントの村むらが生産に従事しており、地域的特色がうかがえる。とくに、大野郡では町部と農村部の分業関係がある程度成立しており、同郡勝山では、煙草八〇万斤、生糸一〇〇〇貫、苧・・・・・・一五万の、また同郡大野でも煙草一二万六〇〇〇斤、苧・・・・・・四万三五〇〇の生産があり、それぞれの原料は周辺農村部に求めていた。さらに注目すべきことは、製織に従事する村むらとして、布(麻)が一七一か村、木綿が一八四か村あり、全体の約三割に達していたことである。嶺北地方には副業としての農村織物業の広範な存在があったのである。



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