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 第三章 明治期の産業・経済
   第一節 農林水産業の発展
     四 林業行政の展開
      林業の展開
 福井県の造林事業は明治末期から本格化し、大正・昭和初期にかけて国や県だけでなく、森林組合が中心となり、民有林の伐採および植栽が強力に推進された。中心的な担い手となった森林組合の設立状況をみると、大正三年(一九一四)の七組合が八年に一二組合、昭和五年(一九三〇)に四〇組合と増加している(福井県『林業普及二〇年』)。表118は明治四十四年から大正十四年までの用材・薪炭材の伐採および植栽面積の推移を示したものである。薪炭材を中心とした用材の伐採が積極的に推進され、とくに大正後期の伐採面積の急増ぶりが目立っている。これに対し植栽は、大正四年ごろまでは植樹奨励・公有林野造林奨励など、国・県の補助事業のもとで着々とすすめられ、一〇〇〇町歩台を確保していた。しかし、六年以降は伐採量の増加に追いつかず、十四年などは伐採量のわずか一二パーセントを植栽できているにすぎない。このことは国有林を含む福井県林野面積の林相割合に明確にあらわれている。大正十年の『県統計書』によれば、福井県林野面積三一万八四二町歩のうち無立木地が三三・一パーセントもあり、とくに公有林においては、その林野面積七万一二一八町歩の四〇・八パーセントが無立木地で、造林の必要性が指摘されている。

表118 民有林の植栽・伐採面積

表118 民有林の植栽・伐採面積
 大正期の福井県林業を要約すると、第一次大戦好況期を中心とした商品経済の発展と燃料の需要増により用材や木炭・薪の生産は急増したが造林は追いつかなかった。大正九年の恐慌以降、用材の需要は停滞したが、昭和初期の世界的な経済恐慌は福井県の山村をも直撃し、大きな影響をおよぼした。



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