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 第三章 明治期の産業・経済
   第一節 農林水産業の発展
     四 林業行政の展開
      県営模範林の設置
 明治後期は、産業資本の発展と軍事的な要請によって、木材の需要が急速に増大した。また、日露戦争を記念していろいろな産業振興策が立てられたが、造林運動も国民運動として全国的に起こった。福井県では、明治三十七年(一九〇四)十一月に県営模範林(のちに福井県第一模範林と呼称)の設置を計画した。同年の通常県会で「県模範林費中土地買入費継続年期及支出方法」(一万七九五三円)が可決、告示され、足羽郡の東郷村と一乗谷村にまたがる約一二〇町歩の国有林が払い下げられることになった(県告示第二九〇号)。この「東郷模範林」経営は、営林経験の乏しい町村や林業家に樹種選定、伐期、売却、造林などの合理的経営の模範を示して林業を振興し、あわせて県有財産を造成することを目的とし、また、事業期間を二〇か年とし杉とひのきの二種を中心に造林を行った。造林には多数の樹苗を必要とするため、県営の苗圃も新設された。
 第一模範林の経営が順調にすべりだした四十二年に皇太子行啓記念事業として同年度から二二年間にわたる福井県第二模範林設置を計画し、「第二模範林費継続年期及支出方法」(九万四二二六円)を県会にはかって決定し、一〇二七町歩の造林にのりだした(県告示第二四号)。模範林は勝山(大野郡勝山町)・剣岳(坂井郡剣岳村、坪江村)・城山(南条郡南杣山村、湯尾村、宅良村)・今庄(南条郡今庄村)・南山および北山(南条郡宅良村)の五か所に設けられ、第一模範林と合わせ営林規模は一挙に拡大した。第二模範林は四か所が公有林野で、県が地上権を設定し、収益の三割を公有林野の所有者、つまり町村がうけとる収益分収造林法がとられたのが特徴である。五か所の模範林には県営苗圃が付属して設けられたが、四十四年度からは今立郡中河村の県営苗圃で育成された漆・油桐、栗などの特種樹種の苗木が一般に無償交付されるまでに発展している(『福井県林業誌』大正四年)。



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