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 第三章 明治期の産業・経済
   第一節 農林水産業の発展
    二 地主制の進展
      中小地主の機業進出
 明治後期の資本主義確立期における地主制の構造として、高率小作料と低賃金の相互規定関係がみられるなかで、福井県下では三十年代以降、輸出向羽二重生産の急速な発展は、地主層、とりわけ中小地主の進出によって拍車がかけられる。
 全国の羽二重主産地の生産額をみると、明治二十年代半ば以降福井県が群馬県を抜いて第一位を占め、以後一貫して首位の座を独占することになる。
 また三十年代に入ると、両毛地方の群馬・栃木両県の後退とは逆に、石川・福島両県の生産額がとみに高まるが、これとて福井県にははるかに及ばない。こうして、福井・石川の北陸機業県が、全国的にもっとも有名な羽二重生産地となる。
 その点、東北・関東の機業県の場合、福井・石川両県とは異なり、農村地帯の中小地主層の積極的な機業進出がなされないところに、羽二重生産の停滞・低減をもたらす要因があると考えられる。たとえば宮城県では、仙台市中心で、容易に農村には浸透しえなかったし、山形県でも、機業「工場」が米沢市や鶴岡市など特定の市町に限られた。また新潟県では、肝心の広大な越後平野の農村部で、容易に機業「工場」が発展しなかったのである。
 福井県では、福井平野の農村部で、福井市に近い坂井郡下の春江・高椋・磯部・丸岡など諸村の機業地主をみると、いずれも所有地五町歩以下のものが大半であった。また、今立郡下の機業地帯の粟田部・南中山・新横江・中河・北中山などの諸村にしても、坂井郡とはさらに規模の小さい地主層が、機業経営者のなかにかなり含まれていた。彼らは、小作料収入から資金を調達し、おもに小作人家族から労働力を確保することにより、機業経営に比較的容易に取り組むことができたのである。
 ようするに、二十年代から三十年代では、機業経営資金を、主として小作料収入から直接転化させる場合はもちろんであるが、金融機関や生糸商筋からの信用供与によって資金回転を行う場合も、その信用の基底には「土地所有」があり、また機業従事者(女工)を小作人家族などに求めるなど、「土地所有」(小作地経営)が、機業発展の大きな起動力になる。
 ついで、四十年代から大正初期の力織機の導入による「動力化」が進められる段階になると、動力化にともなう資金需要が旺盛となる。そのため、地主機業家としての「土地所有」は、小作地からの小作料の収得それ自体を目的とするよりも、機業経営のうえでの資金調達・信用供与をうけるための担保物件としての性格が強くなる。したがって、かつての小作料収入に大きく依存していた時期の地主機業家にみられたような農業生産への強い関心が、しだいに稀薄化する。彼らのなかには、所有地を一部処分して、機業の経営拡大をはかるものも増加する。この点、後述する地主制後退の一因にもつながるものとみられ、機業の動力化が完了したあとの大正十年(一九二一)の「小作慣行調査書」のなかでも、その間の事情を示唆するところがある。



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