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 第三章 明治期の産業・経済
   第一節 農林水産業の発展
    二 地主制の進展
      手作地主の雇傭労働
 福井県下の地主制が確立する過程では、中小地主が核となることは前述したが、その農家経営は、手作地主が中核を担うことになる。越前での標準的な手作地主、足羽郡上文殊村西袋(福井市)の平崎伝右衛門家の農業経営について、その耕作地での雇傭労働に照明をあててみよう。
 平崎家は、明治三十一年(一八九八)までは、耕作地二町八反余のうち、約八割の二町三反を小作地としていたが、翌三十二年より小作地を三反五畝に大幅縮小し、二町三反余を自作地とした。それは、同家の一部小作農が、小作地を返上したことによるとみられ、同家では思いきって、耕作地の約八割を自作地化したわけである。しかし、自家労働力の少ない同家としては、雇傭労働に大きく依存せねばならなくなる。そのため、年季奉公人に、丹生郡立待村(鯖江市)のYと足羽郡上文殊村(福井市)のHの二人を求めたが、これらの奉公人に対する年給は、表107のとおりである。三十三年で、Yには年給一二円のところ一四円余を、Hには米二俵(九円余)を支払い、これ以外に小遣い、日用品などでYに五円余、Hに二円余を支給している。
表107 平崎家年季奉公人給金(明治33年)

表107 平崎家年季奉公人給金(明治33年)
 一方、日雇労働については、表108にみるとおり、年間を通じたのべ人数が計六九人で、労賃は総計一一円六六銭となる。日雇の雇い入れが始まるのは三月下旬で、田植時の六月、草取りの七月にもっとも多くの人数が雇用され、八月以降は減少するが、十一月の収穫時には、またふえている(平崎伝右衛門家文書)。

表108 平崎家の農業日雇月別労働配分・労貨(明治32年)

表108 平崎家の農業日雇月別労働配分・労貨(明治32年)
 三十年代になると、全国的に小作農による小作地返還の動向が目立ちはじめ、いきおい中小地主層のなかには、手作地拡大の方向をたどるものが現われる。越前でも、こうした傾向が見られ、手作地主の農家経営のうえで、年季奉公人や日雇などの雇傭労働に依存しなければならなくなる。
 ところが、この時期の越前では、機業など諸工業の活発な展開が始まり、それらの地域では、しだいに農業生産への雇傭労働力の入手が困難となる。とりわけ年季奉公人は、同じ村落内では容易に求められず、他町村や他郡に求めなければならなくなる。しかも前述のとおり、年季奉公人の給金の負担が、日雇に比べはるかに大きいなど、家族労働による自家労働力の僅少な手作地主ほど、雇傭労働の確保に、大いに苦慮したものと考えられる。



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