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 第三章 明治期の産業・経済
   第一節 農林水産業の発展
    二 地主制の進展
      地主制の確立
 全国的な地主制の確立過程には、地域的にかなりの差異がみられるが、通常小作地率の推移が、地主制進展の一応のバロメーターとなる。まず、農村経済の先進的な近畿諸府県では、明治十年代後半から二十年代前半で、いち早く四〇パーセント台となり、地主制の確立が認められる。一方、農村経済の後進的な東北諸県の大半は、四十年代に入った段階で、ようやく四〇パーセント台となる。
 ところが、長野・群馬・埼玉などの養蚕県は、三十年代で四〇パーセント台となり、近畿諸府県と東北諸県とのほぼ中間に位置づけられるが、北陸三県については、二十年代に入ると、四〇パーセント台に上昇するため、地主制の進展過程にみるかぎり、近畿諸府県に近似し、松方デフレを経た段階で、比較的早期に地主制が確立したことがわかる。
 図30が示すとおり、福井県の小作地率が、十六年から二十一年にかけて急増し四〇パーセント台に達するのは、松方デフレ下で地主層による土地集積の進行したことを物語る。以後、さらに小作地率は漸増し、四十一年には四四・六パーセントとなる。
図30 福井県の小作地率(明治16〜44年)

図30 福井県の小作地率(明治16〜44年)

 図30からも明らかなように越前各郡の小作地率は、若狭三郡に比べて圧倒的に高い。そのなかでも、とくに敦賀郡は二十二年に、今立郡は二十四年から五〇パーセントを超える。これに対して、若狭三郡は、十六年の一〇パーセント台から、二十一年にようやく二〇パーセント台となり、三十年代後半にはほぼ三〇パーセントに達する。また、若狭三郡のなかでも、とりわけ遠敷郡の低率が目立ち、三十年代前半までは一〇パーセント台で推移し、三十六年にようやく二〇パーセント台となる。
 また、農業者の自・自小・小作別構成からみても、図31・表102のとおり、県平均値で自小作農の比率がもっとも高く、ついで自作農の比率が高い。小作農は、四十一年(三〇・七パーセント)を除き、二〇パーセント台で推移する。若狭三郡では、自作農層が目立って分厚く、小作農にいたっては、一〇パーセント前後の比率しか占めない。これに対して越前では、自小作農の比率が高く、なかでも大野・坂井・足羽三郡が高く五〇パーセントを超える時期もある。また小作農の比率は、今立・敦賀・丹生・南条の四郡が高く、時期によっては四〇パーセントを超える。このように、小作地率や農業者の自・自小・小作別比率の推移からみると、越前は、若狭に比べて、地主層の土地集積の度合いが高く、農民層の分化が比較的進んでいることが認められる。
図31 福井県の小作農の割合(明治16〜大正3年)

図31 福井県の小作農の割合(明治16〜大正3年)



表102 郡市別自小作別農業者比率

表102 郡市別自小作別農業者比率



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