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 第三章 明治期の産業・経済
   第一節 農林水産業の発展
    一 勧業と勧農政策
      勧業策の特質
 明治前期の日本経済の当面する最大の課題は、日本近代化の機軸となる資本主義経済を創り出すための殖産興業策であった。その際、重要な役割を果たすのは勧業政策で、敦賀県でも、明治六年(一八七三)十一月、租税課に勧業係が設けられ、積極的な施策に乗り出すことになる。ついで八年十一月、勧業担当の第二課が設置され、さらに、十四年二月の福井置県にともない、勧業課と改称された。
 福井県は、十六年九月に勧業委員を、翌十七年二月には勧業諮問会を設けた。勧業委員は、町村もしくは連合町村で勧業の業務にかかわり、その事務は郡長が指揮し、戸長と協議して行った。委員は、いずれも地域の地主・商工業者の代表で、勧業諸会にも積極的に参加して、県の具体的な施策を、末端の地域住民に普及・徹底をはかる重要な役割を担ったのである。また、同諮問会は、県の勧業策につき、県令の諮問に答えるためのもので、おもな諮問事項は、一、海陸運漕の利害、一、溝渠用悪水疎通、一、悪虫・有害鳥獣駆除、一、動植物蕃殖・改良、一、山林栽培・保護、一、農商工事統計および前六項のほか農商工事の利害の七項目であった。
 つぎに、当時の勧業策の基調を示す前田正名の『興業意見』(明治一七年)に示されている福井県に対する勧業構想に触れる。前田は、福井県の情勢について、「農工商ノ事業ハ、十分ノ勧奬保護ヲ為スニアラサレハ、到底将来ニ向フテ進歩ノ見込ナシ、若シ政府ノ勧誘保護ヲ解キ、人民其ノ為ス所ニ放任スルカ如クナレハ、何レノ日カ農工商ノ地歩ヲ進メテ事業ノ隆盛ヲ見ルコトヲ得ヘケンヤ」と述べ、さらに勧業面での官側の強力な施策の必要性を力説する。
 そして、「福井県下ノ致富ニ付最モ著シキ効ヲ有スヘキ事業」として、まず第一に米穀、ついで養蚕・生糸・織物をあげ、これら物産振興のためには、「陸送ノ便ヲ開クヲ緊要」と強調する。ところで米穀については、従前に比し米質の粗悪化が大きな問題で、俵造・升目などの検査をきびしくし、「農民自家ノ食料ヲ除キ租税ニ供スヘキモノ」や、「其他販売ヲ要スヘキモノ」は、すべて郷倉に納入することの必要性を説く。
 また、養蚕・生糸・織物の振興をはかるには、「蚕種ノ粗造ヲ禁シ物品ノ品位ヲ進メ、益々販売ヲ拡張スルニアリ」とし、とりわけ「当事者」への資金融通の重要性が説かれる。この点、すでに十三年ころから、若越の各地に、養蚕・製糸・織物業などの分野で、士族が中心となって会社をつくる士族授産事業が行われていた。その際、かなりの勧業資金を必要としたにもかかわらず、その需要に満足に応じきれないのが実情であった。
 前田が、福井県の物産振興の基本に米穀と生糸・織物を掲げたのは、その将来を見通した卓見といわねばならない。しかし、当時の「松方デフレ」が深刻化するなかで、官側のさまざまな勧業策にもかかわらず、諸物産の振興は、容易に実効があがらなかった。



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