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 第三章 明治期の産業・経済
   第一節 農林水産業の発展
    一 勧業と勧農政策
      明治初年の諸物産
 明治初年の福井県下農村社会における諸物産の生産状況を検討するにあたり、福井はじめ石川・富山の北陸三県が、全国諸府県のなかで、どのような展開をみせるかをまず概観する。
 明治七年「府県物産表」は、明治初年の産業経済発展の起点となり、また伝統的産業の幕末期に直接引き続く状態を示す最後の時期を対象とするだけに、きわめて貴重な物産資料で、すでに諸先学により、精密な分析が試みられている。山口和雄は、明治初年の主要な商業的農作物および農村工業品として、繭・生糸・綿・綿糸・麻・織物・藍・菜種・油・蝋・煙草・茶・酒・醤油・砂糖・紙・畳莚類の一七品目につき、その合計生産額を各地区および各府県ごとに算出する。そして、この一七品目の生産額の多額な地区や府県ほど、総体的に農村経済の進展度が高いと判断する(山口和雄『増補明治前期経済の分析』)。
 そこで、おもな物産ごとに北陸三県の動向(府県人口を考慮に入れない生産量の絶対額)をみると、まず米の生産高では、新潟県はじめ主要産出一七県のうち、敦賀県(福井県)が一二位、石川県が一〇位、新川県(富山県)が四位となる。また菜種では、愛知県はじめ主要産出一四府県のうち、敦賀県が九位、石川県が一〇位。綿織物では、大阪府はじめ主要産出一一府県のうち、新川県が二位を占める。ついで麻類では、栃木県はじめ主要産出九県のうち、敦賀県が二位、蝋類では、大阪府はじめ主要産出一〇府県のうち、敦賀県が四位となる。こうした北陸三県の主要物産の生産状況からみても、当時の全国六三府県中で、農村商品生産の進展度のうえで、比較的上位の地域性がうかがわれる。
 つぎに表97は、明治七年(一八七四)の敦賀県下諸物産の構成につき、前述の「物産表」によりまとめたものである。全国平均と比べて低率なのは、米麦雑穀を筆頭に、加工原料作物・飲食物であり、反対に、全国平均をかなり上回るのは、農産加工、水産物、器具・船舶である。すなわち、農林水産物が、全国平均を下回るのに対して、工産物は全国平均をかなり上回っており、敦賀県下の加工商品生産の進展度はかなり高いことがわかる。なお、農産加工の分野では、織物(奉書紬・木綿縞・白木綿・布・蚊帳)・油蝋類(木ノ実油・蝋燭)・生糸・麻糸・綿糸・製茶・紙類の品目が、器具・船舶では、金属加工品(釘鋲・針・刃物類・農具)が主要なものである。

表97 全国・敦賀県の諸物産構成比(明治7年)

表97 全国・敦賀県の諸物産構成比(明治7年)
 そこで、主要物産のその後の推移状況をみると、表98のとおり、年ごとの生産高の増減の幅が大きいため、統計調査の精度を疑問視せざるをえないが、総体的な動向は把握することができる。六年の指数を一〇〇とすれば、菜種・生糸が十四年から十七年にかけて、四〜六割ないしそれ以上の激しい落ち込みをみせるが、それは、おもに「松方デフレ」の打撃によるとみてよい。しかし十九年には、生糸を除き、六年のレベルを上回り、とくに煙草、製茶は、約一・五倍から二・五倍の大幅増となっている。

表98 明治前期福井県域の主要農産物生産推移

表98 明治前期福井県域の主要農産物生産推移
 また、これら主要物産について、「松方デフレ」以前の十二年の郡別構成状況は、表99のとおりである。まず、主穀の米・麦がともに、越前・若狭の全生産高の一〇パーセントを超えるのは、坂井・大野・遠敷の三郡だけである。一方、特有農産物の生産高につき、品目ごとに三位までの郡をあげると、菜種では一位が坂井、二位大野、三位吉田、麻では丹生・足羽・遠敷の順、綿は丹生・坂井・吉田の順となる。さらに、繭では大野・遠敷・今立の順で、生糸は大野・遠敷・今立の順位。煙草は、大野が九割以上を占め、あとは遠敷・三方に若干産出する程度である。製茶は、坂井が圧倒的に多く、ついで遠敷・今立の順となる。したがって、主要な特有農産物七品目につき、越前・若狭の一一郡で、生産高が上位三位を占めるのは、越前では大野郡が四品目、坂井・今立両郡が三品目、若狭では、遠敷郡が五品目であり、これら四郡が、上位三位をほぼ独占するとみてよい。

表99 主要農産物の郡別構成比(明治12年)

表99 主要農産物の郡別構成比(明治12年)



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