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 第二章 日清・日露戦争と県民
   第三節 明治後期の教育・社会
    二 「地方改良」と地域社会
      模範と表彰
 地方改良運動は、模範と表彰を巧みに利用したところに一つの特徴がある。模範的な事例を紹介してその実行を促し、成績優良者はこれを表彰して名誉をあたえ、周囲の羨望・競争心を煽り立てる。こうした手法を用いることで、運動の普及・発展をはかったのである。
 そのため、模範となる事例の収集と紹介には労を惜しまなかった。内務省は、明治四十二年(一九〇九)の第一回「地方改良事業講習会」で集めた資料をまとめた『地方経営小鑑』をはじめ、各地の実例を収集・紹介した『地方改良実例』『地方資料』など、数多くの印刷物を出版している。当然ながら、それらのなかには福井県の事例もたくさん見出される。
 福井県でも、四十四年に「自治民政資料展」が開催されることとなり、各町村から寄せられた五〇〇件にも及ぼうとする事績が一挙に展示公開された。その全貌は、翌年『福井県自治民政資料』と題する一冊の書物にまとめられ、さらに県内各地に流布することになった。それをもとに、自治民政資料展の内容をみていこう。
写真100 福井県自治民政資料展覧会場

写真100 福井県自治民政資料展覧会場

 まずは、故人や故事にまつわる伝承や史実が数多く紹介されている。そこでは、伝説・歴史上のいわゆる偉人や偉業の功績に交じって、貧民救済や土木開墾、殖産勧業などで地元の公益に尽くした人物・事績の多いことに注目される。いかに地方改良運動が人びとに「愛郷心」を植えつけ、地域に献身する人物の育成をめざしていたかがわかる。なおこの時期には、「郷土史」の編さんもさかんとなり、時代をさかのぼって郷土の誇りや模範の発掘が行われていった。
 つぎに、教育や産業の方面を中心に、各地の近況を伝える資料も多く紹介されている。とくに教育では、夜学や共同作業に励む青年会の活動や学校・図書館施設の整備にかかわる事例が多く、産業では農事の改良、耕地整理、養蚕・織物業の技術革新、産業組合の組織などにかかわる事例が多い。ここで共通するのは、人びとの共同や団結による活動の成果が高く評価されている点である。教育と産業の伸張は、地方改良運動がめざす究極の目標であったが、とくに道徳と経済の調和のとれた発展こそが理想とされていた。
 また、過去における政府や県知事、県農会などからの表彰が、一七〇件あまり、賞状の書面をもって紹介されている。そこでは、「勧業功労者」についで「孝子」「節婦」「義僕」の善行者の表彰が多くみられる。とくに「義僕」に対する表彰は、足羽・今立・大野郡を中心に二〇件に及び、書冊の巻頭グラビアでも各地の名望家や功労者にならんで受賞者の顔写真が掲載されている。おそらく、展覧会でも賞状と顔写真とのセットで紹介されたのだろう。賞状の書面には、「(家僕として)一意主家ノ稗益ヲ図リテ懈ル所ナク……父母在生中、孝養ニ懋メ、勤倹ヲ励ミ、納税ヲ過マタザル等、篤行ノ見ルベキモノ少カラズ、其志行ノ堅実ナル洵ニ奇特トス」と、江戸時代とも変わらない倫理規範にもとづく賛辞が述べられている。教育や産業において近代的な施設や技術の導入をすすめる一方、民心はあくまで封建的な道徳の範囲内にとどめておこうとする、地方改良運動の趣旨がここにも表れている。
 なお、この時期には、町村で独自の規程を定め、町村民を表彰することもさかんであった。納税対策でも成績優良者の表彰が導入されたことは、さきにみたとおりである。たとえば、遠敷郡鳥羽村が定めた「善行者表彰規程」では、一五年以上勤続した村吏員で成績優良者、産業や教育・衛生などの公共に尽くした功労者、上等兵以上の現役兵で善行証書をうけて帰郷した者、さらに「孝子」「義僕」「節婦」と認められる善行者を表彰の対象としていた。そして、表彰された男子には表彰状を染め抜いた木綿の羽織、女子には綿の友禅帯が贈与され、表彰者には元日(四方拝)・紀元節・天長節の三大節拝賀式への参列が許された。すなわち、出征軍人や善行者には、担税力を計りにした「分限」「身分」、またそれにもとづく家格の序列を離れて、名誉ある町村民となる機会や場が用意されていたのである(『鳥羽村治蹟』)。
 こうした模範と表彰を組み合わせた巧みな装置が、地方改良運動に対する町村民の自発性を引き出すことに有効に機能したのである。鳥羽村の場合も、大正二年(一九一三)に内務省から優良村に選ばれ、三月二十九日を「選奨記念日」と定めて村民一統休業し、さらなる運動の推進を誓うことになった(『鳥羽村治蹟』)。



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