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 第二章 日清・日露戦争と県民
   第三節 明治後期の教育・社会
    二 「地方改良」と地域社会
      運動の推進・実践網
 この時期には、納税組合や貯蓄組合などのほかに、町村行政を補助し、地方改良運動の推進・実践部隊となる団体組織の結成がすすんだ。戸主会、婦人会、青年会、処女会、老人会、区長会、五人組、教育会、矯風会などが、それである。ここでは、吉田郡五領ケ島村で設立された団体組織の内容を順を追ってみていこう(『五領ケ島村々勢』昭和七年)。
 まず、村内の全戸主を対象とする「戸主団」と、一五歳以上の婦人による「婦人団」がおかれていた。戸主団の方は、「農家ノ道徳・経済」の振起を目標に、教育勅語の服膺と実践躬行、「道徳ト経済ヲ調和シテ其併行ヲ期シ、神仏ノ徳、皇徳、祖先父母ノ徳ニ報ユル」ための勤倹貯蓄、「親睦協和ヲ旨トシ、各自財産ノ分内ヲ守リ、善ヲ積ミ業ヲ励ミ、共同救護シテ共ニ農家永安ノ法ヲ立ツル」の三項目を実行目的に掲げていた。この中身は、二宮尊徳のいわゆる報徳思想を発展させた農村更生のための教訓であり、さきにも述べたとおり、地方改良運動が拠り所としていた農民教化の指導理念そのものであった。こうした崇高な目標・目的のもとに、団員の事業は、毎月十五日に寺院で講話や説教を聴聞し、会費の代わりに草鞋や草履を村の基本財産に寄付することとされていた。一方、婦人団は加入が任意とされ、家庭教育や家事経済、看護法の研究、質素倹約と貯金の実行が奨励されていた。
 つぎに、一五歳以上の青年男子による「青年矯風団」と、同じく一五歳以上の未婚者による「御陵処女会」がおかれていた。いずれも本部は小学校においた。青年団の方は、毎月一回、ただし冬季と農閑期は毎夜会合し、懇話、講話、娯楽、夜学、図書・新聞の縦覧を事業としていた。一方、処女会は、婦人会と同様に「質素勉励」を目標に掲げ、毎月五銭以上の郵便貯金を行うことが定められていた。さらに、加入は任意であったが、六〇歳以上の老人による「御陵耆老会」もおかれ、青年団や処女会の指導・改善を目的に掲げていた。
 また、「五領ケ島村教育会」とこれに付属する「学齢児童保護団」が組織されていた。教育会の会員は、会費の寄付や納付額に応じて序列が設けられていた。やはり事務所を小学校におき、さきの戸主団・婦人団・青年団・処女会など各種教化団体の統轄にあたった。教育に関する談話会・展覧会の開催や「孝子・節婦・義僕・義婢」「村内ノ功労者」「篤行者」の表彰などを具体的な事業とした。一方、学齢児童保護団は、村民有志の寄付をつのり、貧窮あるいは事故により就学困難な学齢児童に対する文具や夜食の給与、冬季の通学困難者に対する宿直費用の補助を行うものであった。
 さらに、行政補助機関として「区長会」がおかれ、村内全戸を網羅するように「五人組」の制度がしかれていた。五人組は、五戸を一組に伍長をおき、二組以上を合わせて組長をおいた。この伍長や組長は、諸般の令達を組内に周知させるとともに、諸種の申合規約の監督や表彰すべき善行者の把握が任務とされた。また組内の心得としては、皇上奉戴・朝旨の遵守、親睦・相互扶助、倫理道徳の遵守、国家祭祀の崇敬、勤倹貯蓄、規約の実行などが掲げられ、地方改良運動で望まれた村民の規範が列挙されていた。
 このように、町村に蔟生したさまざまな団体組織が、「地方改良」の趣旨にのっとって幾重にも町村民をとらえていった。しかも、江戸時代の遺制である五人組制度の活用にみられるように、隣保互いに規制・強制しあう環境がつくられていたのである。



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