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 第二章 日清・日露戦争と県民
   第二節 政党・政派と選挙
    四 立憲政友会福井支部成立後
      大選挙区制
 明治二十二年(一八八九)の選挙法は、前述のように地主層に有利であり、都市の商工業者その他の勤労生活者に不利なものであった。そのため農村偏重の選挙法改正の運動が、日清戦後都市商工業団体や全国各市連合会などによって進められる。他方、政府も都市商工業者の議会進出は、地主勢力への対抗要件として歓迎するところであり、また憲政党誕生が教えるように、これまでの多数代表法といえる小選挙区制では将来強力な多数党の出現の心配があり、新しく少数代表法としての大選挙区制の採用を企図した。第一二議会以来、連続して財産制限の緩和と農村と都市の平準化とを含む改正案が提出された結果、ようやく第一四議会において可決され、三十三年三月に公布された。こうして人口三万人以上の市を独立の選挙区に、ほかは府県を単位とする大選挙区制が採用された。人口約一三万人につき定員一人として総定員三六九人、投票方法も単記無記名の秘密投票となった。また、選挙人の納税要件は、従来の一五円が一〇円となりその他の要件も緩和されたため、有権者は従来のほぼ二倍となった。福井県においては福井市が独立選挙区となり定員一人、郡部は大選挙区となって定員四人、有権者は第七回の総選挙時に一万六四〇二人と従来のほぼ二倍となり、日露戦後有権者はさらに倍増することになる。
 さて、新しい選挙法による衆議院の総選挙は三十五年八月の第七回、三十六年三月の第八回、三十七年三月の第九回、四十一年五月の第一〇回とそれぞれ実施された。これら四回の総選挙における福井県の選挙結果は表85のとおりであるが、以下その選挙の様相について若干の考察を行う。

表85 衆議院議員給選挙結果(第7〜10回)

表85 衆議院議員給選挙結果(第7〜10回)



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