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 第二章 日清・日露戦争と県民
   第二節 政党・政派と選挙
     三 『若越新聞』と第四次『福井新聞』
      立憲政友会福井支部の成立
 政局は明治三十三年(一九〇〇)、かねて準備が進められていた伊藤博文の新党結成に自憲党は解散して加盟することとなり、ここに立憲政友会が誕生し、九月十五日に結党式が挙行された。自憲党県支部もあげて政友会に参加することになり、十月三日には本部より支部創立委員の嘱託がなされ、ついで同月二十一日に福井市花月楼で支部発会式を挙行した。『政友』第二号によれば、当日の出席者は一二〇〇余人、開会の辞林彦一、座長竹尾茂、支部規約案を原案どおり可決した。つぎに内規議了後、各郡出席員による評議員の選挙を行った。それより評議員会に移り、竹尾茂を支部長に選出し、また支部長の指名で、幹事三沢敬太、吉田円助、大橋松二郎、増沢善右衛門、木村乾が決定した。
 このようにして十月二十八日、正式に支部の成立をみることになり、同月三十一日に支部規約は本部で承認された。翌年十二月第一期の政友会大会までに新入会者二万四四九人を数えたが、うち福井県は六二〇人、それは全国道府県中一二番目の数であった。



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