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 第二章 日清・日露戦争と県民
   第二節 政党・政派と選挙
     三 『若越新聞』と第四次『福井新聞』
      権衡工事問題
 この時期県政では九頭竜川改修とそれにともなう権衡工事問題が重要課題であった。九頭竜川の改修は県民多年の宿願であり、明治二十九年(一八九六)成立の河川法による政府直営の工事としてその目途がつき、三十年の通常県会に関知事より該工事の施行を内務大臣に禀請することの諮問案が提出された(資10 二―一九二、資11 一―一五)。しかし、この改修工事から直接の利益を得る地域は流域の福井市、足羽・吉田・坂井郡の一市三郡に限られ、他の八郡はその利益にあずからず、八郡にも土木工事の利益を均霑すべきだとするいわゆる「権衡工事」案が要請されることになった(資11 一―一四)。
 このため県会は嶺南四郡の河川道路改修の予算を提出すること、日野川・足羽川および九頭竜川上流の改修工事の継続を政府に要請することの二件を付帯条件として九頭竜川改修の一〇か年継続総工費約三三八万円、うち地元負担約一〇〇万円の支出をともなう諮問案を可決した。そして三十三年三月の臨時県会に岩男三郎知事は九頭竜川改修費初年度支出額一二万五〇〇〇円と権衡工事のための一〇か年継続土木費五二万余円を提案、県会はこれを可決したのである。
 前述のように県会内は自憲党が絶対多数といえる勢力を占め、党幹事の竹尾がこれを主導していた。一〇か年継続土木費は勝山道ほか一〇道、日野川ほか七河川の改修、および日向港湾の修築にあてられた。とくに勝山道改修費が全体のほぼ四分の一にあたる約一三万円を占め、竹尾の県政に対する影響力をうかがわせた。そして以後県内各郡市間での地元利益獲得競争の引き金ともなったのである。



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