創刊時の「福井新聞社職務権限」によれば、主筆に須永金三郎、監督三田村甚三郎、社主三田村竹四郎、主幹小沢源吉、社友取締内田謙太郎、高島茂平、森広輔、野村勘左衛門とある(森広三郎家文書)。第一号の社説「福井新聞の本領」では、「福井新聞は福井県に於ける非増租同盟会の機関新聞なり、若越二州に於ける憲政本党同主義者間のクライヤーなり、其の主張に在ては……全然憲政本党の主義を翼賛す」と述べた。さらに憲政本党結成に際しての宣言と綱領を再録するとともに、「府県会議員選挙に関する憲政本党の檄文」を掲載し、今回の選挙結果は増租派非増租派勝敗の分かれるところで第一四議会の大勢を支配すると強調し、増租派たる自憲党の非行を列挙している。さらに、三田村甚三郎は「快なる哉福井新聞の発刊」のなかで南越の政界を二派に区分し、老人党は自由派、青年党は進歩派を意味するとし、「福井県青年党の羽翼は既に備れり、老人党を斃すの時機は正しく来れり」と書いた。そして第一号附録として福井県非増租同盟会の檄文(資11 一―一三)を掲げ、発起人二〇〇人(その内訳はほとんど丹南三郡)の名を連ね、地租・醤油・郵便の三税復旧のための同盟会発会式の挙行を予告し、県下有志に呼びかけたのである。 |