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 第二章 日清・日露戦争と県民
   第二節 政党・政派と選挙
     三 『若越新聞』と第四次『福井新聞』
      府県制、郡制の改正
 増租案を通過させた第一三議会において、山県内閣はさらに府県制、郡制の改正を行った。府県会議員選挙における複選制と郡会議員の大地主議員を廃止し、府県会議員の選挙権者は直接国税三円以上となり、有権者層は拡大された。そしてこの改正府県制により、九月には府県会議員選挙が予定されていた。ここに増租問題その他で相対抗した自憲党、進憲党は、与野党の立場でこの拡大された有権者層を自己の勢力下に吸収するため争うことになったのである。
 前述の増租問題により若干の不協和音を生じた創設まもない自憲党福井支部は、明治三十二年(一八九九)二月から三月にかけて評議員会や臨時総会を開き支部内部の整備、党勢拡張を期することになる。すなわち三月二日の臨時総会で丹生郡以外の市郡の各評議員を選出し、三月二十六日の評議員会で正式の幹事(竹尾、大針、長谷川、吉村禎一、森口徳左衛門)、主計(吉田円助)を選出した。またこれよりさき、すでに嶺南では小浜出張所において党勢拡張委員が選出され、ついで長谷川豊吉の主導で三郡憲政倶楽部が設置され、さらに福井支部における今立・南条両郡の党勢拡張委員の議決などが行われた。これらは嶺南および丹南三郡における進憲派勢力の抬頭に対処するもので、来るべき県会議員選挙への布石であった。
 このようにして県会議員選挙を前に六月十五日、支部臨時総会を花月楼に開催し、山口定省代議士以下党幹部党員二〇〇余人参会のもと、現内閣をして宣言(提携)の実を挙げしむること、評議員を九〇人に増加すること、顧問員設置の件(後に森田三郎右衛門を選出)、星総務委員歓迎の件を議決した。星亨一行の北陸巡回は、六月二十一日に武生曙座、二十二日に福井照手座で政談大演説会が行われ、星は「吾党の本領」と題し、内閣と妥協した第一三議会における党の行動を弁明した。『若越新聞』(明32・6・23、24)によれば武生で二五〇〇余人、福井では四〇〇〇余人の聴衆があった。また、一行は二十一日の夜、福井市で県内実業者団との懇談会をもった。



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