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 第二章 日清・日露戦争と県民
   第二節 政党・政派と選挙
     三 『若越新聞』と第四次『福井新聞』
      地租増徴問題
 政局は第二次山県内閣の成立後、増租問題をめぐって展開した。すなわち内閣は軍備増強に重点をおく日清戦後経営のため、歳入不足を主として地租増徴で補うため、第二次松方・第三次伊藤内閣が試みて失敗した増租案を、何としても実現せんと第一三議会に提出した。それは現行地租一年の定率地価百分の二・五を改め百分の四とし、また現行地価の不公平を是正するため、増租案とともに地価修正案が出された。もちろん山県内閣の方針に対しては、さっそく進憲党を中心に貴族院の同志を加えた増租反対同盟会が結成され、全国的な反対運動の口火を切った。一方、全国商業会議所は両議院に地租増徴を請願し、そのほか大阪・横浜市などの都市商工業者によって増租期成同盟が結成され、これまた全国的な賛成運動を進めた。
 このようななかで、すでに内閣との間に提携関係が結ばれていた自憲党は、山県による執拗な軟化工作も加わり、与党として増租案に賛成の立場に追い込まれていた。しかし、党内には強い反対論がうずまいており、政府与党間の種々の折衝の結果、引上げ率を百分の三・三に修正し、また明治三十二年(一八九九)から五か年間の期限付という条件が附せられた。他方、地価修正案は政府案を是認するとする妥協案が成立し、ここにいちおう懸案の増租問題に決着がつけられた。
 増租案は第三次伊藤内閣以来、政府の日清戦後経営に同調し、軍備拡大を是認してきた自憲党の協力によって、ともかくもここに実現した。それはこの時期において、これまでの政府に対する政党側の姿勢の転換と、また地主層を中心とした政党の社会的基盤の変化とが期限付増租を容認させたとも考えられるが、なお農村における増租反対の感情は熾烈なものがあり、進憲党は増租反対の立場を強調することにより、反自憲党的感情を党勢拡張に結びつけようと考えた。
 この動きは当然福井の政界にも大きな渦を巻き起こした。政府案の段階において県下各郡に増租反対運動が展開され、上京運動委員により県選出の自憲党代議士や党本部へ強い働きかけがなされた。また三十一年十二月初め、現職および旧県会議員らの呼びかけで増租反対のための非政社組織若越倶楽部が組織され、同倶楽部の発起で県有志大会を十二月十五日に福井市で開催し、増租反対同盟会が結成されるなど、反対運動は激しい盛り上がりをみせた。一方、全国の動きにもれず、福井商業会議所は臨時総会で増租請願を両院に提出することを決議した(資11 一―一、二)。しかし結局は、杉田を中心とした県選出の自憲党代議士もまた修正案に同調し、自憲党支部が指導権を握る県政界のこの問題に対する運動は、竜頭蛇尾に終わらざるをえなかったのである。



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