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 第二章 日清・日露戦争と県民
   第二節 政党・政派と選挙
     二 県会の趨勢と総選挙
      第一選挙区
 第二回は足羽郡では先約により青山庄兵衛と交代して加藤与次兵衛が、大野郡よりは前回競合した竹尾、広瀬明が山田卓介に譲った。山田には県出身の松平正直(熊本県知事)を介して政府の援護が伝えられた(杉田定一家文書)。山田側は否定していたが、自由党系軟派の山田を立てて自由党硬派の加藤に対抗させた政府の意図は否定できず、加藤側への官権の妨害はかなり行われた(杉田定一家文書、奥田与兵衛家文書)。かくて自由党の加藤と準吏党派山田の争いが進められた。
 第三回は足羽・大野両郡の自由党交渉会で両郡の交代を協定し、竹尾の推せんが決定した。他方、前議員岡は旧福井藩荒子組士族編入問題への尽力を基盤に第一区より出馬したが、人気は今一歩であり、『福井』(明27・2・28)は岡派の買収工作、荒子組による腕力沙汰など同派の激しい運動を報じていた。さらに大野郡においても自由党内の分裂が生じ、北部(勝山)を基盤に篠原政治が出馬し、同派の運動員が党籍を除名されるなど竹尾一本に絞られないまま三者の争いが展開された。
 第四回は前約により足羽郡の順番だったが、国会期間が短いということで両郡交渉会の結果、今回も竹尾を推せんした。運動は大野郡の有志が担当し、足羽郡は側面的協力のみということになった。他方、対外硬派より加藤への出馬要請が執拗に行われ、また岡部広、山田卓介らにより足羽郡の吉田円助への働きかけがなされたが成功しなかった(奥田与兵衛家文書)。しかし一方、大野郡では七月十六日、青年有志により大野革新協会の発会式が行われ、八月二十三日、善導寺で同協会の発起で対外硬派大演説会が挙行され、広瀬明を推挙した。軟派自由党の竹尾と対外硬派の広瀬の対決となった。
 第五回は従来の両郡交代の図式が変わり、足羽郡からの候補者はなく大野郡から林彦一と飯岡彦兵衛の二人が出馬し、自由党同士の争いとなった。今回の竹尾不出馬の理由は、おそらく代議士在職期の県会における群雄割拠の状況を眺め、自ら県会へ復帰し県会および地方における政治的制覇を企図したものと考えられる。第六回は憲政党内閣のもと憲政党の林の独り舞台であった。



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