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 第二章 日清・日露戦争と県民
   第一節 日清・日露戦争と「戦後経営」
    四 日露「戦後経営」
      「戦後経営」下のサーベル農政
 日露「戦後経営」のゆくてをはばむ国際収支の入超の、構造的要因の一つに米の輸入超過があった。すでに日清戦争後の資本主義の発展と非農業人口の増大によって明治三十三年(一九〇〇)以後は、つねに米の輸入国となっていた。日露戦争中の一一〇〇万石を超える米の輸移入超過の後も、米の需要圧力は強まるばかりで、三十九年から大正二年(一九一三)の年平均輸移入超過は、二八〇万石にも及んでいた。米の生産力上昇の最大の阻止要因は、水害と虫害による凶作であった。明治三十年の福井県の凶作については前述したが、この年は全国的にもウンカが猛威をふるった大凶作で、翌三十一年は四〇〇〇万円弱の米の大量輸入から、貿易収支は八〇〇〇万円余の入超となって正貨激減をきたし、日清戦後恐慌のひきがねとなった。日清・日露の「戦後経営」を進める政府にとって、国際収支の悪化につながる米の輸入の増大は、なんとしても阻止しなければならない。そのためには、米作の基盤整備は、不可欠の政策課題であった。そこで水害に対する河川法とならんで、有効な害虫駆除対策が急がれていた。農家にとって虫害は、ほとんど連年の災厄であったが、これを人力の及ばぬ自然災害とみて「天狗祭ヲ執行サヘスレバ駆防上効験アルモノト迷信」したりする風潮が、なお盛んであった(資11 一―二〇)。こうした形勢のなかで二十九年三月、害虫駆除予防法が発布された。知事の命令によって全農家が、官僚の技術指導のもとで予防と駆除にあたることが義務づけられ、これに警察がかかわり、違反者は罰金・拘留の処分をうける。虫害の予防と駆除は、一部の手抜きが、広く全体に被害を波及させるという公共性をおびる。ここに強権的農政を成立させる素因があった。そして、この害虫駆除にかかわるとして米麦種子の塩水選、短冊形苗代、稲の正条植などの稲作技術改良にまで、広く強権的農政を展開させる。三十六年十月の農商務省の農会への諭達によって、一四項目に及ぶ稲作改良技術が、行政組織や農会から末端農家へと実施を強いる。いわゆるサーベル農政の成立である。
 三十五年七月、県令によって「害虫種類及駆除予防方法」(県令第六六号)と、「害虫駆除予防法施行規則」(県令第六七号)を定めるや、八月ただちに「法の制裁」をかざした、末端村落ぐるみの人海作戦的な害虫駆除活動がくり広げられる。同時に、県令の予防方法には、苗代は「短冊形ニ整地スヘシ」という規定があり、これをもとに短冊形苗代が、盛んに督励されることになった。三十六年四月二十七日、丹生郡吉野村(武生市)の総代会では「本年ノ苗代、短冊形ニ為セシモノヽ人名ト旧慣ヲ改メザルモノヽ氏名ヲ取調、四月三十日迄ニ役場ヘ報告」する、と決めている。五月になって同村本保では、村当局に「御請書」を提出し、短冊形苗代は「明年ヨリ必ズ実行セシメル事」と、苗代での除草と螟虫の採卵など「次会、御検査ノ際、佳良ナル成績ヲ挙ル事」などを区内こぞって尽力する、と記している。三十七年八月、村当局は害虫駆除について、誘蛾灯の「点火ノ監督ハ、出張委員、駐在巡査及、役場吏員ト分担シテ、区長、遂行委員、害虫駆防委員ヲ監督奨励シ、之レヲ施行セシムル」として、村落内の虫害防除活動についても、誘蛾灯の「点火ノ数、誘殺蛾数ハ区長等ニ於テ、日々調査ノ上、別紙ニ記載シ駐在巡査出張ノ序、上司ヘ報告方嘱託スル」よう決めている(本保区有文書)。この三十七年は、前年の農商務省諭達の実行が、あまねく町村に督励されて、塩水選・短冊形苗代と、やかましい(旧宮川村役場文書)。県が唱道する農事改良実行項目の三十七、三十八年の成績を示せば、表76のとおりで、いずれも全国平均を上回るものとなった。

表76 県農事奨励事項成績

表76 県農事奨励事項成績
 三十八年十二月、県令で短冊形共同苗代の設置を義務づける「稲苗代取締規則」が決められ、翌年一月施行される(本保区有文書)。四十二年の苗代のころ、坂井郡では郡吏を各町村へ派遣するに際して、警察署と打ち合わせて、県令違反者に対して仮借なく告発すると伝えられる(『福井新聞』明42・5・1)。四十四年三月五日、坂井郡役所では、県庁主任官の臨席のもと、三国・丸岡署長をはじめ郡内派出所巡査部長などを集めて、苗代整地の監督について熟議する手筈であった。すでに、前年十二月十四日の町村長会で、綿密な指示がなされていた。まず苗代整地については、1町村は、大字ごとの苗代台帳を作成して三月十日までに郡役所に提出し、郡衙はこれを一覧のうえ返却し町村役場に配備させる。2村落の苗代には、それぞれ台帳符号の建札をつくらせる。3町村長を中心に、吏員はそれぞれの区域を分担して農家を督励する。つぎに苗代への播種については、1大字は、播種の一〇日前に、町村役場と巡査駐在所へそれぞれ届出のこと。2届出をうけた町村役場と駐在所は、それぞれ郡役所または警察署へ知らせる。そして、苗代の臨場監督にあたっては、警察官・郡吏・郡農会主務員・町村長・村吏は、話し合い各大字の受持ちを定め、県官とも緊密な連絡をとる。こうして実施された改良苗代の成績は、県下で良好であった。今立郡では、昨年は告発をうけた者一五人、説諭をうけた者五〇余人をだしたが、本年は説諭をうけた者わずか二、三人にとどまったという。南条郡では南日野(南条町)・王子保(武生市)の両村に、無届で単独苗代を設置した者が三人あったが、隣地に苗代をかえたという。坂井郡では警察署に百余人が違反者として検挙されたが、所定の手続きを終え短冊形に改めたという。こうした経過をたどって、官僚の稲作技術は、しだいに農民のなかに定着していく(『福井北日本新聞』明44・3・2、9、5・27、28、6・5)。



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