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 第二章 日清・日露戦争と県民
   第一節 日清・日露戦争と「戦後経営」
    三 日露戦争
      「ロシアという大洪水がやってくる」
 日清戦争直後の明治二十八(一八九五)、二十九年、福井県は未曾有の大洪水に襲われて、政府に救済と復興を要請する。しかし三国干渉以後、東アジアの情勢の急迫から日清「戦後経営」を急ぐ政府には、地方の災害復旧に十分な財源をあてる余裕はなかった。南下するロシアへの恐怖が喧伝されて、九頭竜川の洪水より恐ろしい「ロシアという大洪水がやってくる」(渡辺洋三「河川法・道路法」『講座日本近代法発達史』六)という危機感が当局をとらえていた。
 現実に、ロシアを先頭とする欧州列強の帝国主義という大洪水は、三国干渉を契機として東アジア一帯を席巻する。列強は、日清戦争の戦費と巨額の賠償支払いにあえぐ清国に、借款を供与する。そして見返りに港湾租借・鉄道敷設・鉱山開発などの利権を次々に獲得して、分割支配を進める。これに対する義和団の反抗を、日露両国を主力とする列強連合軍が鎮圧するが、その後、列強間の利害も鋭く対立する。とくに遼東半島をめぐって日露両国の対立は深刻であった。「主権線」の維持から「利益線」を朝鮮から遼東へと「開張」しようとする日本の大陸政策は、三国干渉によって挫折する。その直後、ロシアは清国に借款をあたえ、二十九年シベリア鉄道チタから北満州を横断してウラジオストクに達する東清鉄道の敷設権を取得する。さらに三十一年旅順・大連の租借権を獲得し、東清鉄道ハルビンから南下して旅順にいたる南満州支線の敷設権を得て、満州一帯に勢力を扶植する。「利益線」朝鮮と「主権線」対馬海峡は、旅順・ウラジオストクの両軍港に挟撃されて、きわめて不安定となった。一方シベリア鉄道計画以来の、ロシアの南下政策の成否は、南満州鉄道が鴨緑江と平走しているゆえに、朝鮮国境に日本軍が配置されれば、重大な脅威にさらされることになる。そこで、日本は三十五年日英同盟を軸にアメリカの支持をも期待し、ロシアはフランスとの同盟に、ドイツの後援をえて、日露戦争を戦うことになった。
 三十七年二月五日、県下で突如として海軍に動員令が発令された。坂井郡高椋村の後備役一等水兵、大飯郡高浜村の海軍予備役三等兵曹などが、召集に応じた。そして二月八日、日本の海軍は仁川と旅順のロシア艦隊に奇襲攻撃をかけて、黄海の制海権と戦局の主導権を掌握した。その勝報は二月十日の宣戦布告とともに二月十一日に公表されると、在郷軍人は奮起し、世情もまた勝報に狂喜したのであった(資11 一―三八〇、『明治三七・八年戦役高浜従軍軍人名鑑』)。県下で海軍に動員令が降った前日の二月四日、御前会議の開戦決定の瞬間は、沈痛そのものであったという。陸海軍も財政当局も勝利の成算が立たなかったからである。御前会議から帰宅した伊藤博文は、食事も通らず悲壮な面もちで、元冦の北条時宗の故事にならって一兵卒として国難に処する決意を示したという(金子堅太郎「日露戦役の回顧」『日露戦役秘録』東京府教育会)。欧州第一の陸軍国、ロシアに対する非常な恐怖心は伊藤も民衆も共有のものであった。



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