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 第二章 日清・日露戦争と県民
   第一節 日清・日露戦争と「戦後経営」
    二 日清「戦後経営」
      日清戦争後の町村の課題
 県民が日常生活を営む場、それは行政の末端に位置づけられた町村である。県下の町村は日清戦争後、三年に及ぶ大災害と県民の疲弊のなかで、日清「戦後経営」の国家的要請にこたえていく。図16は、日清戦争をはさんで変化する県下の町村を、財政歳出の指数面からとらえたものである。まず戦前に抑制ぎみに推移してきた歳出総額が、戦後にいたって急激に膨張していく動向が読みとれる。歳出の主要費目となっている役場費・土木費・教育費の推移をみると、明治三十年(一八九七)の水害復旧による土木費の突出を除いて、教育費が財政膨張の主導力であることが判明する。三十年一月、小学校教員を俸給につき優遇する法令が公布され、これを町村に義務づけている。三十三年には、義務教育年限を最低三年から四年に引き上げ、授業料は徴収しないことになった。これで県下の町村の教育費は、二十七年の一一万円台から漸増を重ね、三十四年には三五万円台へと上昇する。戦後の小学校では、いずこも生徒数が急増して、町村は教員の不足と校舎の手狭さを痛感し、これを解決するための教育費の調達に苦しむことになる。南条郡坂口村(武生市)では、二十八年末の生徒数一〇〇人内外が、二十九年三月には一五〇人を超える形勢で、教員を二人から三人とし増額予算を議決したが、校舎改築には踏みきれなかった。今立郡国高村(武生市)では、就新小学校の改築費六〇〇円の捻出に苦しむが、一戸あたり三円の重負担となるので計画を断念したという(『福井日報』明29・3・25、4・30)。
図16 町村歳出の主要費目別推移(明治23年=100)

図16 町村歳出の主要費目別推移(明治23年=100)

 図17は町村歳出の内部構成をみたものだが、日清戦後の費目構成のきわだった変化は、衛生費と公債費の比重の増大である。二十八、二十九両年にわたる水害で赤痢・チフスなどの伝染病が各地に発生したが、町村はその対応におわれ出費を強いられたのである。さらに三十年四月には、伝染病予防法が公布され、町村に伝染病予防施設とその事務・費用などが義務づけられることになった。戦前の町村は、衛生費の予算が極端に少なく、決算額でみても今立郡粟田部村(今立町)の二十三年で一〇円、大野郡北郷村(勝山市)の二十五年で一三円、小浜町でさえ二十六年で四七円にとどまっており、種痘の費用が少々もられていた程度であった。今立郡岡本村(今立町)や南条郡宅良村(今庄町)のように、決算額でゼロという村も少なくなかった(各町村「精算書」)。それが二十八年の水害で伝染病が大流行して、にわかに県や郡役所の行政指導が強まったのである。二十九年二月たびたび訓令をうけた丸岡町では、隔離病舎の設置を町会が議決したが、町内の世論は沸騰した。町民が疲弊して二十八年の町税未納者二〇〇余戸を数え、しかも二十九年度町税は「近年無比の巨額」という重負担であった。町当局は町民の不穏に配慮して、いったん可決の設置案を執行延期にしたのである(『福井日報』明29・4・19)。しかし財政の負担能力にはかかわりなく、町村に対して、補助金交付の措置をからめた衛生防疫体制の整備を進める。そして、町村財政の窮乏はいっそう深刻化することになった。
図17 町村歳出の主要費目別構成(明治23〜36年)

図17 町村歳出の主要費目別構成(明治23〜36年)

 村役場の新築、小学校の増改築、隔離病舎の設置、この三件の臨時費支出こそ日清戦後の町村財政の公借金導入の直接的なきっかけとなっている。大野郡平泉寺村(勝山市)は三十二年度の村役場新築にあたって、つぎのように提案理由を述べている(「平泉寺村村会議事録」)。
現建物ノ構造タルヤ農家ノ養蚕場ヲ購求シ、建替ヘタルモノニシテ木材ノ如キ頗ル虚弱ニシテ大風ノ際ハ、戸障子ハ為メニ倒伏シ書類ヲ散乱セシメ、壁及ヒ鴨居ハ墜落スル事、危険曰フヘカラス、執務上差閊ヲ生スル事、多々之レアリ到底役場タルノ資格ナキモノナリ。
日清戦争以前、町村制成立のころの村役場の一般的景況を伝えるものであろう。表69は平泉寺村の歳入歳出精算書の推移を示したものである。図17・図18の県下の町村の歳出歳入の年次的内部構成の変化と対比してみると、日清戦後の町村行財政の特徴を看取することができる。平泉寺村の財政規模は二十五年の歳出総額で九二一円にすぎなかったが、戦後に膨張をたどり、村役場新築の三十二年に二二三八円に上昇する。同時に歳入面で村税の不足分を公借金と村民の寄付金に求めざるをえない。この傾向は翌三十三年の隔離病舎設置で、歳出とともに村税も倍増、公借金に依存する度合を深めた。さらに三十五年には小学校校舎新築で歳出は五二五九円に達する。これは二十五年の歳出規模の五・七倍にあたるが、村税徴収の限界から、公借金と寄付金への依存はいっそう拡大する。このような町村財政の危機的状況を憂慮した県庁は、町村の基本財産の積立を促進する政策を進める。税収に頼らず、町村基本財産からあがる収益によって歳出を賄う、いわゆる「不要公課町村」建設をめざすものである。三十二年以来町村の基本財産費の増加傾向がきわだってくるのは、この営為のあらわれであった。

表69 平泉寺村決算額(明治29〜35年)

表69 平泉寺村決算額(明治29〜35年)



図18 町村歳入の主要費目別構成(明治23〜36年)

図18 町村歳入の主要費目別構成(明治23〜36年)



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