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 第一章 近代福井の夜明け
   第五節 明治前期の教育・社会
    四 松方デフレの諸相
      地主の土地集積
 しかし、このような国や県の精神論的施策は農村困窮への有効な対策にはなりえず、この松方デフレ期に負債を抱えた多くの農家は土地を手放すことになる。表59によれば、明治十五〜二十年の六年間に一八・一パーセントにあたる地所(宅地・山林等を含む)が売買され、同じく四六・九パーセントにあたる地所が質書入れされている。とくに、明治十八年(一八八五)は洪水による被害が重なり、この年だけで全田畑の三・二パーセントが売買され、地所の一一・〇パーセントが質書入れされており、松方デフレ期の土地移動の激しさがうかがわれる。

表59 地所売買・質書入率(明治15〜20年)

表59 地所売買・質書入率(明治15〜20年)

表60 県会議月選挙有権者数(明治14〜22年)

表60 県会議月選挙有権者数(明治14〜22年)
 それでは、この土地移動が土地所有のありかたにどのような影響をあたえたであろうか。表60は、十四〜二十二年の県会議員の選挙権者(地租五円以上納税者)数と被選挙権者(地租一〇円以上納税者)数を示している。被選挙権者数はこの時期を通じてほぼ横ばいまたは微増傾向を示すのに対して、選挙権者は十九年に激減し、その後の回復もにぶい。また、選挙権者数から被選挙権者数を差し引いた数が地租五円から一〇円未満の納税者数を示すが、十八年の一万一〇〇〇余人が十九年には三二〇〇余人に激減している。地租五円から一〇円未満の納税者は、八反から一町二反程度の土地所有者と推定されるが、表60からは松方デフレによって、福井県においてこの階層の農家が大きな打撃をうけ、農地の売却に追い込まれていったことが明らかとなる。ただ、松方デフレは福井県の過半を占める八反以下の土地所有者へも大きな打撃をあたえたと思われるが、その実態は明らかでない。
 この結果、十六年には小作地二万二〇〇町余、小作地率三三・八パーセントであったのが、二十二年には五〇〇〇町余増加し二万五三〇〇町余、四〇・五パーセントになっている(表61)。その後の二十四〜三十年の七年平均の小作地および小作地率が、二万五八〇〇町余、四一・九パーセントであることからも、また、小作料も「明治十八年小作慣行調査」によれば田で一反平均一石であり、収穫米のうち取得割合は地主六・小作人四となっており福井県においては十年代の後半から二十年代初頭にかけて、地主的土地所有がほぼ確立したといえよう。
表61 自小作地別耕地面積(明治16〜22年)

表61 自小作地別耕地面積(明治16〜22年)



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