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 第一章 近代福井の夜明け
   第五節 明治前期の教育・社会
    四 松方デフレの諸相
      農民の困窮と地租延納要求
 このように松方デフレは、県下の農家を直撃し、農村の困窮は深まっていく。明治十六年(一八八三)五月には地租割・戸数割の納期が、四期(一期・六月十五日限、二期・九月十五日限、三期・十二月十五日限、四期・三月十五日限)に分けられることになるが、同年の第一期分未納のため坂井郡安沢・辻・河間の三村は公売処分をうける。また、同年十二月の臨時県会は、「第三期の納租すら完納する能はずして代米納を出願するもの」が多い現状を緩和するため、永田定右衛門、矢尾八兵衛、藤田孫平らが臨時地方税徴収期限延期の建議案を提出し、多数の賛成で可決された。県もこの建議案をうけて徴収期限を一か月延ばさざるをえないほど、農民の困窮は深刻化していた(甲第三五号、『福井新聞』明16・9・28、12・23、『県議会史』一)。
図10 福井穀物会社米価(明治15年8月〜22年12月)

図10 福井穀物会社米価(明治15年8月〜22年12月)

 十七年に入ると困窮はますます深まり、二月三日付『福井新聞』は丹生郡の景況を「村毎に破産するもの七、八戸少きも四、五戸、又た負債の為めに逃亡する弐、三人」とし、さらに各村で借金するもの「十中の八、九に居れり」と農村の危機的状況を報じている。三方郡でも県令によって認可された代米納分三五〇〇俵が敦賀港へ運ばれていた。また地主と小作人間の紛擾も各地で発生し、とくに丹生郡平井村(鯖江市)の小作料引上げにともなう争議は、『福井新聞』によれば、小作人が受作を拒否すると地主が小作地を引き上げ囚人労働による耕作を開始したため長期化し半年余に及んだ(『福井新聞』明17・2・10、4・6、10、8・23)。
 このような状況は、十七年三月末の十六年度第四期納租の時期が近づくと地租延納運動へと発展していった。十六年末には坂井郡の杉田仙十郎(定一の父)が、地租改正条例第六章の各種物品税が二〇〇万円を超えた時は減租するという条項を根拠に、郡内各村に減租請願を行うことを訴えていた。十七年に入ると、同郡上小森村(春江町)の近間八兵衛が発起し、かつて地租改正反対運動の指導者であった安沢村(春江町)の矢尾八兵衛・牧田直正などの賛同を得て、一月中に二度、西方寺村(春江町)源徳寺に各村代表が集会し、減租と十六年度第四期地租上納延期を請願するための仮総代人を決定した。さらに二月十四日には二一か村が集会し約定証に連署するとともに、丹生・今立・南条郡の村むらへ賛同を求める書面を送付した。同月十七日、坂井港(三国)大門の三国屋太平宅での四回目の集会には五四か村の戸長や「重立ち」が二人ずつ、また丹生郡五か村の総代二人も出席した。近間は各村の団結を訴えるとともに、請願書を県および政府へ提出することへの賛同を求め、翌二十日に実印持参の再集会を開くことを決めていた。
 この運動に呼応するかたちで丹生郡上石田村(鯖江市)の福岡亀次郎や同郡平井村の大島正左衛門は、東京報知新聞社刊行の地租改正に関する書籍などを購入し、それぞれ減租請願の正当性を示す文書を各村に配布していた。今立郡選出の県会議員河端五右衛門は、南条郡武生で減租請願のための集会を開催しようとしており、運動は拡大の様相をみせていた(「自明治十五年至同十七年機密探偵書一」)。しかし、史料の制約からこれ以後の動きについては明らかでない。おそらく、全県的な運動には展開しなかったのであろう。ただ、十七年五月に石黒県令が松方正義大蔵卿に対して「本年地租第四期徴収ノ際一邨ヲ挙テ公売ヲ達セシモノ殆六十邨ニ及ヒ一時非常ノ困難ヲ極メ」と述べ、十四、十五年地租未納金年賦延納願への「右民情御諒察何卒特別之御詮議」を訴え、政府も五か年賦延納を認めていた。この石黒の上申書の背景には、減租と地租延納を要求する運動があったのであり、それが政府から地租五か年賦延納を獲得することを可能にしていたといえよう(明治一七年「公文録」)。
写真75 減租請願運動の機密探偵書

写真75 減租請願運動の機密探偵書

 また一方では、農民たちは米価惨落による農村の窮状に対して、「節倹申合」などによる対応も行っていた。大野郡富田郷と阪谷郷の三六か村は、十六年末に三日間にわたって「相談会」という連合会を開催した。六八人の総代議員は、多数の傍聴人の見守るなか三七か条からなる詳細な節倹申合規則を決議し、合わせて節倹取締理事の設置を決定している。十八年春には吉田郡の村むらでも節倹の申合規則が取り決められていた(『福井新聞』明17・1・11、12、18・3・27)。このような節倹申合せの広がりが、政府によって十八年五月に農村困窮への精神論的対策といわれる「済急趣意書」(農商務省達第二〇号)が布達される背景にあったと考えられる。福井県も同年十月同様の趣旨の諭告を出し、「競成組合」などを作らせ勤勉と節約および勤倹貯蓄と弊習の改正を各村に奨励しようとするのである(旧内外海村役場文書)。



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