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 第一章 近代福井の夜明け
   第五節 明治前期の教育・社会
    四 松方デフレの諸相
      松方デフレの開始
 明治十四年(一八八一)の政変により、大隈重信の後をうけて松方正義が大蔵卿に就任した。松方は長年の懸案であった通貨安定と財政整理を実現するため、前年九月より本格化していた紙幣整理政策を継承し、翌十五年には日本銀行を設置した。この紙幣整理は、十八年五月の兌換銀行券条例による兌換制度の実施によりいちおう終了した。しかしこの政策は「松方デフレ」と呼ばれる激しいデフレーションを引き起こすとともに、軍備拡張策などのための増税をともなったため、農民の生活は極度の困窮に陥った。その結果、地主の土地集積が進展し、自作農から小作農に転落する者が多かった。
 福井県においても十三年後半には一俵四円八〇銭前後にまで高騰した米価は、十四年に入ると下落しはじめ、図10にみるように十七年初頭には一円五〇銭前後と高騰期の三分の一にまで暴落した(資10 二―三)。これに対して国税地租や地方税地租割は微増傾向を示し、十三年と比較した場合、国税・地方税などが実質的に三倍以上の増税になることを意味し、農民へ大きな打撃をあたえることになった。農民困窮の状況は十五年末から目立ちはじめ、十六年五月、福井県を巡察した渡辺清元老院議官は「十五年ヨリ世ノ形勢一変シ、米価頓ニ下落シテ金融益々逼迫シタレハ、農家大ニ困弊ヲ極メ、或ハ納税モ猶能ハサルニ至ラントス」と報告している(『明治十五年十六年地方巡察使復命書』上)。



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