目次へ  前ページへ  次ページへ


 第一章 近代福井の夜明け
   第五節 明治前期の教育・社会
     二 近代教育のはじまり
      小学校の教育内容と試験
 明治五年(一八七二)の敦賀県の「小学規則」第一四則では、教則は文部省の「小学教則」を基本とするが、当面は東京師範学校の「小学教則」にしたがい、具体的な課業については「別紙課業表」で定めるとされていた。この「課業表」を改正したものと考えられる「改正敦賀県管内下等小学課業表」(満六歳より九歳まで半年ごとに八級から一級に分けられている)の科目として綴字・書取・書牘、単語・読本、輪講・口授、習字、算術があり、「上等小学課業表」(満一〇歳より一三歳まで八級から一級)では習字、作文、読本、輪講、算術、余科があった。ともに、昇級試験の場合二個以上の失点があれば昇級はできないという規定が書かれている(『福井県教育百年史』一)。
 さらに九年七月の「敦賀県教育規則」の「下等小学教則凡例」には詳しい教育内容が定められている。授業時間は一日五時間で昇級試験には「落第」があった。入学後の最初の半年間の八級には、読法・綴字・習字・書取・算術・口授・体操嬉戯・唱歌があり、たとえば、読法は五十音図・伊呂波図・濁音図や単語図・連語図を使って学習する、算術は指数器を使って数え方を教え、数字図・算用数字図を使うことなどが定められていた。最上級の一級では、習字・算術・口授・作文・地理学・歴史学・体操・唱歌・諸課復習があり、作文は簡単な公用文を学ぶこと、地理学は「万国地誌略」三、歴史学は「万国史略」一・二によることとされた。このような教育内容を勉強した結果を試験によって判定し、合格すれば進級できるしくみになっていた。
写真69 小学日課時間表

写真69 小学日課時間表

 では、試験についてみてみよう。七年の『文部省年報』の「敦賀県学事年報」には「毎級六ケ月毎ニ生徒ノ学力ヲ試験ス」とあり、試験場には「学区取締、巡講師」が立ち会い、下等四年上等四年のそれぞれの卒業試験には県職員が監督したという。八年の報告では、東京師範学校のやり方をまね、学業がとくに優秀な子どもには筆や墨、紙などをあたえて褒賞したとある。このように、試験に県職員が立ち会い成績優秀な子どもを褒賞するという制度は、「学制」の規定にもとづいていた。「学制」の第四八章には進級試験について「生徒ハ諸学科ニ於テ必ス其等級ヲ踏マシムルコトヲ要ス」と規定され、第五一章では試験で優等な成績をおさめた者に褒賞をあたえてもよいと規定されていた。
 敦賀県の場合は、前述した「敦賀県教育規則」のなかに詳細な試験規定があり、その「生徒試験規則」によれば、試験を「小試験」「定期試験」「大試験」の三種類に分けていた。小試験は受持教員が毎月末に行い、この優劣と出席行状などによって座次を決め、その成績を校内に掲示するとされていた。「定期試験」と「大試験」はもっと大がかりであった。前者は進級時の試験、後者は下等・上等の全級を卒業する時の試験であるが、前者の場合、学区取締と他校の教員一人が出席監督し、問題の選択、点数の記録を行い、さらに正副戸長が必ず臨席し、父兄親類何人に限らず参観を許すとされていた。つまり「定期試験」は、行政関係者や父兄・地域住民が参観して行われるものであった。後者の「大試験」では、くわえて県の第五(学務)課員・伝習所の教員も臨席することとされていた。



目次へ  前ページへ  次ページへ