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 第一章 近代福井の夜明け
   第四節 福井県の誕生
    六 国会議員の誕生とその動向
      第一回総選挙
 第一選挙区では、足羽郡より南越倶楽部の役員で県会議員でもある青山庄兵衛と加藤与次兵衛の出馬が予想されていたが、二人の間で次期交代の談合がまとまり、最終的に青山一人にしぼられた。郡の西北部と福井市を除く南部のほぼ全域と東部の大半は南越倶楽部の領域として確保、若干他の地域に切り込むことができれば青山の優勢は動かなかった(表47)。大野郡では県会議員竹尾茂と県属を退職した広瀬明の出馬が予想され、また、元大野郡長であった福井市の山田卓介を推す動きがあったが、結局竹尾、広瀬の両人でもって足羽郡に対抗することになった。大野郡は南越倶楽部の勢力浸透が不十分で、他日反自由派の温床となる恐れがあるとされ、また県会の土木費問題をめぐる大野郡と足羽郡の対立や第三区をめぐる南越倶楽部内の紛糾も両郡の運動に微妙な影響をあたえていた。
 第二選挙区では杉田の地位が不動のものと考えられていた。それは吉田・坂井両郡の有権者数の対比からもいえたが(表47)、絶対安全ということではなく、彼に対する尊皇奉仏団一派による耶蘇攻撃が加えられたり、吉田郡役所の一部勢力による反杉田運動が展開された。
 しかし杉田の運動体制は徐々に進められ、すでに県会議員改選を前にして明治二十三年(一八九〇)三月九日、坂井郡有志大会の定期総会が丸岡で開かれ、郡内の四団体(川西共研会、河北有志会、中央部協和会、東部同好会)の幹部以下一五〇余人が参集、選挙対策を始動、四月二十日には中央部協和会(旧一二一か町村有志)が杉田を予選、また六月七、八日に吉田・坂井両郡の町村長親睦会が行われた。続いて両郡の有志大会を芦原で開催、県会議員、村長、総代ほか有志者三〇〇余人が満場一致で杉田を推せんした。しかしなお選挙期日がせまるにつれて両郡の間に不穏な動きが予知されたため、六月二十六日、芦原において坂井郡の村長有志会を開催、杉田支持と運動の確認がなされ、またこうしたなかで両郡の調和が確保されることになった。
 さて問題の第三選挙区では南越倶楽部の増田耕二郎、松下豊吉、山本喜平らの武生派の主導下、三月二日に武生で予選会がもたれ中島又五郎が推挙された。中島は、四月十二日武生に帰郷して運動を開始、また第二次『福井新聞』は明白に中島支援の立場を打ち出した。これに対し県会副議長で南越倶楽部の副会頭でもある丹生郡の永田定右衛門は、丹南三郡の農村部を地盤に中島との選挙戦に臨むことになった。彼の陣営では第二次『福井新聞』に対抗して『廿三年』と題する選挙用雑誌(週二回)を刊行するとともに、大同派の応援弁士をえて遊説を展開し、両者は激しい選挙戦を行った。一方、第二次『福井新聞』は、五月四日より七回にわたり「中島又五郎氏を推す可否に就て」の寄書を連載、中島を擁護、さらに土着主義を批判して、永田派への攻撃を行った。なお中島一行は、四月十七日の武生での懇親会を皮切りに、鯖江、西田中、大虫、粟田部へと遊説を行い、五月初めいったん帰京、六月末再び来福、丹生郡に遊説、永田の地盤への進入を試みるところがあった。
 第四選挙区では県会議員時岡又左衛門(大同派)が大飯郡において推され、敦賀・三方郡の一部にその勢力を広げていた。また、元三方・遠敷郡長で県会議員の藤田孫平が愛国公党を標榜し、かねて遠敷郡西部すなわち内外海・国富・今富村、名田庄谷の村むらおよび三方郡の村長、有志者によって組織された若州同志会の牛耳をとって遠敷、三方の大半を押えた。このほか、遠敷の井崎清兵衛や旧藩士たちに主導され、同志会に参加しない村むらの有志によって組織された常磐義会により、小浜出身の農商務省地質局長の和田維四郎がかつがれようとしたが、和田がこれを固辞し、代わりに大津組合代言人谷沢竜蔵が推されることとなった。旧藩士たちの奔走は猛烈をきわめ、時岡おろしのため大飯郡の有力者に圧力を加え、時岡は谷沢に譲ることとなり、愛国公党派の藤田とやや吏党臭を帯びる谷沢との一騎討となったのである(村松喜太夫家文書)。
 このようにして七月一日投票が行われ、第一区で青山庄兵衛、第二区で杉田定一、第三区で永田定右衛門、第四区で藤田孫平が当選し、表48に見るように四人とも愛国公党所属であった。

表48 第1回衆議院議員選挙結果

表48 第1回衆議院議員選挙結果
 これよりさき六月十日に貴族院多額納税議員互選会が、一五人の互選人によって行われた(表49)。山田穣と山田卓介の両山田の争いといわれたが、山田穣六票(青山、岩堀、樫尾、西岡、山西、小林)、高島正四票(坪田、野村、増田、山田卓)、山田卓介(高島)、山本伝兵衛(大和田)、斉藤与二郎(山本)、坪田仁兵衛(山田穣)の各一票ずつ(斉藤は棄権)で、山田穣の当選となった(『福井県政界今昔談』)。

表49 貴族院多額納税者議員互選人(明治23年4月)

表49 貴族院多額納税者議員互選人(明治23年4月)



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