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 第一章 近代福井の夜明け
   第四節 福井県の誕生
    二 石黒県政と県会
      県会のしくみと動向
 明治十四年(一八八一)三月二十日、福井県は郡別の県会議員定数と選挙会を四月に執行することを布達した(甲第一〇号)。「府県会規則」では、郡ごとの定員を五人以下とし、選挙権は満二〇歳以上の男子でその郡内に本籍をもち地租五円以上を納める者に、被選挙権は満二五歳以上の男子でその府県内に本籍をもち満三年以上居住し地租一〇円以上を納める者に付与された。福井県では十四年で選挙権者が二万五六八五人、被選挙権者が一万三八八〇人であり、それぞれ県人口の四・五パーセント、二・四パーセントにあたり、また戸数に対してもそれぞれ二割強と一割強であった。こうした規定では、現在からみればきわめて限られた制限選挙が行われることになり、また、都市部にはほとんど有権者がいないという土地所有者(地主)本位の選挙制度となった。こうして選出された議員は名誉職であり、その任期は四年で二年ごとに半数が改選された。また、正副議長は議員の互選によって選出され、任期は二年であった。
 十四年四月の選挙会の結果は、翌五月十日の甲第四三号で布達され、十四年五月二十六日から福井県最初の臨時会が、常置委員の選任と臨時地方税の徴収のために、福井乾町東本願寺別院で開催された。この臨時会は、「復県運動」の関係で遠敷郡の三人と敦賀郡の片山政治郎が辞職し、定員三六人中四人が欠員で開かれたが、表31にもとづけば、議員の平均年齢は四〇・五歳であった。また議員構成は、商人が六人、士族が五人、医師が二人で、残りの大半は村部に居を構える地主であった。

表31 明治14年5月県会議員名列
表31 明治14年5月県会議員名列

 初期の福井県会は、安場保和地方巡察使が「議員党派ヲ分チ両党互ニ軋轢ヲ生スル等ノ弊少シ」と述べているように、いわゆる民権派と官権派の激しい対立は起こらなかった(『地方巡察使復命書』)。安場はそのことを「殊ニ県会議長(本多鼎介)大ニ議会ト地方官ノ間調和ヲ考ヘ」ているからであるとしている。しかし表31によれば、地租改正反対運動や南越自由党員および『北陸自由新聞』発起人などであった者が一一人おり、このほかにも藤田孫平のように自由民権思想に共感をもつ者が数人いたと思われる。また、石川県の稲垣示が県会中の発言で逮捕されたことが直接の契機となり、東京府会議員の鳩山和夫や田口卯吉らが呼びかけて、全国府県会議員の懇親会が翌十六年二月に開かれることになる。この懇親会に参加することを県会議員が一五対一三で可決しており、坂井郡の土屋久左衛門が稲垣示を慰問し、その後東京での懇親会に参加している(『福井新聞』明15・11・18)。この一五対一三という数字からも、初期の福井県会では、民権派がやや過半を超えていたと思われ、このことが、十四、十五年の県会会期の長期化や十五年の「郡長公撰之建議」などの可決につながっていた。
写真38 明治16年ころの県会議員

写真38 明治16年ころの県会議員

 二十二年二月の通常会の閉会後に石黒県令は非職となるが、この石黒県政八年余の間に、通常会が一〇回、臨時会が一四回開かれている。通常会は年一回が原則であるが、十八年は十七年度まで会計年度が七月一日から翌年六月三十一日までであったのが、十九年度から四月一日から翌年三月三十一日になった移行の年度にあたるため二回開かれ、また二十一年十一月の通常県会が解散され、翌二十二年二月に再度開催されたため八年間で一〇回開催された。
 また、十四年の通常会は会期が八三日、十五年が五三日となっているが、同年十二月の「府県会規則」の改正で通常会の会期が三〇日以内とされ延期が認められなくなったたため、十六年以降の通常会はほぼ会期が三〇日間となっている(太政官布告第六八号)。政府は会期の面からも規制を加え、府県会での議論を封じようとしていた。
 臨時会は、県会議員の半数改選後には必ず開催されたほか、水害復旧費などのための地方税支出追加予算やコレラ病防疫のためなど、県令が必要と認めるときには開催された。この臨時会も十五年十二月の「府県会規則」の改正で会期を七日間以内と決められた。なお、県会へは開会と閉会の当日のみ県令が出席した。県会が紛糾し県令の答弁が求められても直接答弁に立つことはほとんどなく、理事者側の答弁は議事課長などがおもに行った。
 通常会、臨時会以外に十三年十一月の太政官布告第四九号で決められた常置委員会(委員は五〜七人)があった。常置委員会は議長が県令であり、他の委員は県会議員の互選で決められ月手当(三〇〜八〇円)が支給された。通常会、臨時会を問わず議案を前もって審議し会議に意見を報告することとされた。また、同布告第三七条の「地方税ヲ以テ支弁スヘキ事業ニシテ、臨時急施ヲ要スル場合ニ於テ其経費ヲ議決シ、追テ府県会ニ報告スルヲ得」の規定は、県会の権限が常置委員会に委譲される可能性をもっており、県会分断のくさびとなった。



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