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 第一章 近代福井の夜明け
   第二節 藩から県へ
     二 初期民会の開設
      大区会・小区会
 大区会・小区会の開設については、すでに明治六年(一八七三)の「区戸長職制増補章程」(資10 一―一〇五)に言及されているが、「大区会議事章程」が審議されたのは九年六月の県会であり、「小区会議事章程」は一月に配布されたものの、その審議は各大区会に任された。しかし、すでに述べたように、六年八月には、区長に対して、県会の開設前に大区会を開催するよう指示しており、実際に、第七大区区長は八年十一月の第二回県会を前にして、区内各戸長に対して「戸長会話」の開催を通知し、県会議案のうち、小学、勧業、民会等に関する件について、意見の有無とも、集会の節に書類で提出するよう命じている(上野区有文書)。
 また、第六大区の南条郡鯖波村(南条町)の戸長米野吉右衛門と湯尾村(今庄町)の戸長石倉幾太郎はともに、八年の六月二十六日から二十八日にかけて開設された大区会の審議内容を書き残している。これによると、おもな審議内容は、県会仮規則を参考に会議章程を審議すること、地租改正事業の着手順序を決めること、六大区を七大区に合併して大区費の軽減をはかること、大区小区費の予算法については旧来のままに据えおくという便法(区民の無理解のためかえって弊害のでる恐れもあるので、区戸長が立て替える)をとることなどであった。第一回の県会をうけて開かれたもので、この大区会はとくに民費の節減について審議が凝らされており、大区を合併する案などは注目にあたいしよう。なお、九年六月には第六大区の堀口弥一郎区長が副区長となり、第七大区の松本晩翠が区長を兼任している。
 第七大区八小区湯谷(武生市)の副戸長山内駒左衛門の記録では、九年四月に大区会が開かれている(武生市史編さん室文書)。この大区会は、前年十一月の第二回県会での、小区会を九年二月の戸長改選後に開くという決議にもとづいて開かれており、審議の内容は「小区会議事章程」をうけて、細則の「小区会内規則」を審議すること、学資を助けるために慶弔の冗費を省くこと、民費賦課の方法を改正することなどであった。また、この大区会の決議については、小区会議長である各議員の「思想」を一つにして、区内の目的を定めたうえで、この決議書をもって「小区会」の議題とする県の指令があり、このことから、県の意図が、上意下達の徹底にあったことがわかる。
 なお、前述した第三回県会の審議内容の記録には、続いて六月二十六日に開かれた大区会の記録があり、地租改正の手順、学事問題などの審議内容が記載されている(青木喬家文書)。



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