目次へ  前ページへ  次ページへ


 第一章 近代福井の夜明け
   第二節 藩から県へ
     二 初期民会の開設
      第一回敦賀県会
 第一回の地方官会議が東京浅草東本願寺で開かれたのは明治八年(一八七五)六月二十日から七月十七日にかけてであった。敦賀県では、これよりさき、同年五月「県会議事仮規則」が公布され、同時に、五月二十二日より一〇日間の会議日程が示され、議題として、地方官会議の議題に予定されている1道路堤防橋梁と民費のこと、2地方警察のこと、3地方民会のこと、4貧民救助方法のことが示され、そのほか、5地租改正総代人選出のこと、6正副戸長給料増加のことが、至急議すべき件としてあげられた。そしてこの六か条について区内の戸長、副戸長に諮詢して、実地の情況をよく取り調べたうえ、会議に出席するよう促した(資10 一―一〇六、一〇七)。
 この会議は、県会または区長会と呼称されたが、実際には五月二十二日より二十八日までの七日間、敦賀の妙顕寺において開催された。その間二十六日と二十七日は小学校設立および教員養成のため小学授業伝習所の件が諮問されたので、各学区取締が加わったが、その他の日は一九人の区長により審議がなされた。当時の第八大区区長岡部左門の聞書きを、今立郡稲荷村(池田町)の同大区二十小区副戸長宇野猪子部が筆写した「議事問決録」が残されており、審議内容の概要を知ることができる。 写真15 「議事問決録」

写真15 「議事問決録」

 その内容は、県会と大区会を開き小区会は後にすること、正副戸長の給料を増額すること、一村一町ごとに副戸長を置くこと、警察を拡張すること、地租改正総代人を置くこと、大小区費は予算法を採用すること、小学保護のため課金を据置くこと、師範学校を各中学校区に置き、小学授業伝習所とすること、小学訓導の給料を増額すること、河川、道路の等級を改正すること、道路修繕費、堤防入費の管内賦課について改正することなどであった。これらはほとんど民費に関することであり、審議結果は、五月三十一日正副戸長給料増額(敦賀県第六七号)、六月二日予算法採用(敦賀県第七五号)、六月十九日地租改正総代人任命(敦賀県第一六四号)、七月五日小学伝習所設置(敦賀県第一八七号)などと、ほぼ審議内容どおりに布達され、実施されていった。



目次へ  前ページへ  次ページへ