由利案の文面で注目されるのは、かねて福井藩改革派がめざした「公議論」路線をふまえていることである。そして、被支配層の民衆のエネルギーをできるだけ発揮させて、「御一新」の新政の基礎にしようとする開明的な発想によることがわかる。由利案第一条の条文に、「庶民志を遂げ」というのと、誓文第三条の「官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ゲ」とでは、「庶民」のとらえ方のうえで著しく異なっている。また由利案第二条で、「士民心を一にし」といえば、「士」とか「民」とかの身分の差をこえて協力一致することが強調されるが、これが誓文第二条では、「上下心ヲ一ニシ」として、「上」と「下」のきびしい身分の差別を意識するものとみられる。
さらに、由利案第四条の「貢士期限を以て」は、西欧の議会制度で議員の任期が決まっていることからの着想と考えられ、まさしく、彼らの身分的な独占に反対するものである。同じく第五条の「万機公論に決し」は、誓文第一条に掲げられるが、これこそ、幕末の文久期幕政改革の際、政事総裁職松平春嶽の政治顧問となった熊本藩出身の横井小楠が建白した「国是七条」のなかの第五条「大いに言路を開き、天下と公共の政をなせ」と、まったく同じ趣旨のものである。
また福岡案や誓文のなかにはみられない由利案独自の「私に論ずるなかれ」(第五条)は、かねての福井藩の幕政に対する鋭い批判によるものとみてよい。同藩が絶えず戒めたのは、「徳川御一家の便利私営」つまり幕府の「私政」であり、「天下の公論」を基底とする「公議論」路線こそ、幕末の福井藩が真剣にめざした政治理念であった。
なお、彼の盟友坂本竜馬の慶応三年六月の「船中八策」第二条のなかの「万機宜しく公論に決すべき事」は、いみじくも由利案第五条に取り入れられている。大政奉還後、不慮の最期をとげた坂本が求めてやまなかった国政のビジョンが、「五か条の誓文」のなかに見事に憲章化されたといえよう。
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