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 第六章 幕末の動向
   第四節 幕末の民衆
    三 越前・若狭の世直し状況
      ええじゃないか
 「ええじゃないか」は、慶応三年八月から翌年にかけて、畿内から東海地方を中心に伊勢神宮のお札が降ったことを契機に、民衆が日常的な規範から脱し踊り狂った民衆運動である。
 お札降りは天保(一八三〇〜四四)頃から、時折みられたが、小浜では安政二年四月に突抜町の木綿屋源兵衛の庭、塩浜小路の和久屋忠兵衛の小屋根に「太神宮」と書かれたお祓の札が降ったのが最初の事例として知られている。降った当初は「何共ふしぎ成物」と思われていたこのお札も、五月頃になって「御影ケ参り御祓」の札を吹筒で屋根へ吹き上げているのが見付けられ、人為的なものと分かり、大した事も起こらずに終わった(藤田潤治家文書)。
 慶応三年には小浜でお祓の札が再び降った。このわずか二、三日前の十一月初め、藩は、最近京都近辺で「太神宮御祓御札其外諸神或ハ金銀等種々之品」が「降り下り」、それにあわせて踊りなどを催し、老若の差別なく、家事を忘れ、その事のみにかかわっているとの、「兎ニ角風聞」があるが、はなはだ「怪事」であり、もし当地に札など降り下るものがあれば町方は町役人へ、郷中は庄屋へ申し出るように、万一家事を忘れ踊り歩くようなことがあれば、召し捕えると触れ出した(団嘉次家文書)。
 その直後の十一月十四日、小浜において麩屋甚六、和田通い船を支配した桑村謙庵、馬借頭であった窪田手間之助などの屋敷にお祓札が降った。しかし、前もって触が出されていたためか、踊り出す者もなく、極めて平静であり(団嘉次家文書)、藩による事前の抑え込みが功を奏したかたちとなった。



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