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 第六章 幕末の動向
   第四節 幕末の民衆
    一 民衆収奪の強化
      物価騰貴
 表180は、天保十年から慶応三年までの福井・鯖江・大野の各町の米価と、幕府領坂井郡田島村における在方米価と大豆値段の変遷を示したものである。この表から、米価は地域的には福井で最も高く、次いで鯖江、大野の順に低く、この傾向は時期が下がっても基本的には変化しないことがわかる。他方、米価の動向を年次を追ってみると福井・鯖江・大野のどれをとっても、あまり大きな差異はみられない。福井の米価でみると、天保末年に米一俵銀四七匁であった米価は、弘化・嘉永と徐々に値上がりし、嘉永三年(一八五〇)には二倍近くまで高騰する。その後、わずかに下がり、安政四年まで比較的落ち着いた動きをみせる。しかし、アメリカを初め欧米各国と修好通商条約を相次いで締結した安政五年から再び高騰をみせ、洪水のあった万延元年には天保十四年の二・五倍に、さらに文久三年には三倍、慶応二年には一三倍近くまで騰貴した。表180に示したように、大豆についても米と同様値上がりしている。また油についても、天保十一年に一升銀五匁二分九厘であったものが、万延元年には六匁六分一厘、慶応元年には一六匁一分三厘と、米や大豆同様の傾向を示している(上石田区有文書)。

表180 米・大豆価格変遷(1839〜67年)

表180 米・大豆価格変遷(1839〜67年)

 幕末の物価の高騰は、米・大豆・油に限らなかった。ことに開国後その傾向はいっそう顕著なものとなった。三国町の万延元年の記録では、近年幕府が外国との交易を許可したため、絹類・大豆・種油等の値段が高値になったことを指摘し、また、この年前代未聞の大豆の悪作によって、大豆値段は一四〇匁のものが一八〇匁にまで上がり、豆腐や醤油も高値となり、さらに塩の入津が少なかったため塩は大高値となったと記している(「大門町記録」)。
 物価騰貴は年を追うごとく深刻さを増し、文久二年五月に越前一七か村の宿駅は駄賃の割増を求めるが、その願書に「近年米大豆ヲ始諸色一時値上り以前之五六増倍ニ茂相成」とその理由を述べている(森藤右衛門家文書)。また同年閏八月小浜の町人の一人は、これまで五文・六文だった柿や梨までが一二、三文にもなったことなどをあげ、「時節とは乍申、此ころの都而之物高直ニ成事」と、すべてのものが高騰していることを歎いている(藤田潤治家文書)。



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