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 第六章 幕末の動向
   第四節 幕末の民衆
    一 民衆収奪の強化
      御用人足数
 表178は、小浜藩の敦賀町奉行が、安政四年から慶応二年(六月七日まで)までの各年に敦賀町と郷方に課した人足数とその賃銭である。町人足には一日八〇文、郷方人足には一六〇文が支払われた。この御用人足は、本来「御陣屋始所々御普請」のための人足で、平年であればおよそ四〇〇〇人内外であった。ところが、表178に示したように、文久三年には七四一四人と倍近くとなり、さらに元治元年には一万四七五六人、慶応元年には二万四二二八人と激増し、慶応二年も六月七日までに九九八一人を数えている。
 この増加の原因は、「御陣屋始所々御普請」の増加ではなく、台場の普請や水戸浪士一件への動員など「臨時御用」のためである。こうした徴発人足の激増に対し、敦賀三六町のうち御用人足を負担してきた二五町は、藩に対し一年に丁銭四五〇貫文を上納するから御用人足を免除するようにと訴訟した。この訴訟を受けた藩の側は、御用人足の金納を許可しなかったが、これまで「身分」にかかわらず負担してきたものを「分限割」とし、また負担を免除されていた免許町人にも課し、さらに「御陣屋人足」以外の「臨時人足」は敦賀三六町に拡大して課すこととした(山本計一家文書)。
 このように、幕末における民衆の負担の増加は、人足役の増大というかたちでも現れ、さらにこの増加への民衆の抵抗によって、江戸時代を通して「先例」として維持されてきた負担方式にも大きな変化をもたらした。

表178 敦賀御用人足数

表178 敦賀御用人足数



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