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 第六章 幕末の動向
   第一節 松平慶永と幕末の政局
    一 慶永の襲封と改革
      累積債務の返済
 倹政推進を柱とする財政復興努力が続けられる中で、弘化元年十月には新たに清債方と呼ばれる一局を設けて、藩の巨額な借財を返済する努力も開始された。いかに倹約を進めて余剰を捻出しても、それがすべて借財の返済に回るばかりでは意味がない。計画的な返済の目途を立てて、藩財政の安定を図ることも、藩政改革の重要な目標であった。
 清債方開設の際、三国の富商内田惣右衛門などの御内用達の商人に示して、協力を依頼した書付である「御借財御返済方心積大概」(松平文庫)には、累積した借財の借入先と借入額の全容が列記されている(表21)。それによれば借財の総額は、実に元利合計九五万八四五四両余に達している。しかし、翌年の記録「弘化二年借財調」をみると、「千百五拾両 馬喰町御役所御拝借金御返済」「四千七百両 芝御借入皆御返済」など、徐々に返済が進められ、借財の総額は八八万四九七九両余に減少している。清債方による返済努力が開始されたことが知られる。
 前に示した慶応年中の「再調平常量制本払仮積帳」には、費目の一つに「新古御借財御入用」があり、一万六六〇〇両余の支出が見積もられている。また、維新後の慶永の随筆「真雪草紙」には、
諦観公(斉善)ニいたりてハ……負債凡九十万円以上の巨額ニいたれり、余当家へ養子ニ参りてより、中根雪江を始、殊の外の尽力にて頗倹素節略を用ゆ、僅々遂ニハ五十万円位ハ、償補せしと覚ゆ
との述懐が見える。もとより完済には至らなかったが、返済の努力は維新期まで続けられたのである。



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