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 第五章 教育と地方文化
   第四節 庶民の生活
    五 女性の生活
      冬期間の女性労働
 大野郡五本寺村に、各家族の十一月分の労働を書きあげた帳面がある(斎門六右衛門家文書)。十一月のわずか一か月間の労働を記したものだが、この帳面からは冬期における女性の労働内容がよくうかがえる。表紙は欠落しているがその他の史料などから、幕末から明治初期の内容を伝えたものであることがわかる。五本寺村は村岡山の麓に位置し、村高一五一石余で幕府領の村であった。家数は一六軒で、うち女性労働のない家が一軒ある。家族員のそれぞれについて一日ごとに労働内容が記されており、一人につき一日に多くて二つ、大半は一つの労働が記されている。最も時間をさいた労働があげられているものと思われる。
 最初に主婦の労働をみてみると、衣料に関係した用語が大半を占めている。例えば、「つぎ」「さきおり(立)」「おくそ」「布立(うみ)」「布かせ紡ぎ」「布打敷」「綿おろし」「のりつけ」などである。なかでも「つぎ」と「さきおり」はどの家にもみられ、主婦の最も主要な労働であったと思われる。「つぎ」は、着物や布の破れを他の布で繕う作業であろう。「さきおり」は、裂織または割織とも書き、さっくりといわれているもので、ここではそれに仕立てる作業のことをいっているものと思われる。おくそは苧績みのことで苧の繊維を糸にする作業である。
 次いで多くみられる言葉に、「くいもの」と「せんたく」がある。それぞれ「食い物」「洗濯」のことと思われ、現代の主婦の日常労働では欠かせないものである。にもかかわらず、書きあげられている家は限定されており、しかも毎日ではない。食い物は四軒にみられ、うち二〇日以上書きあげられているのは二軒で、他は一、二日である。洗濯も五軒にみられるが、すべて五日以下である。わざわざ書きあげた以上なんらかの意味があるはずである。この二つの言葉は、恐らく現在とは多少違った意味合いを含んでいたものと思われる。
 洗濯は現代のいわゆる普段着を洗う洗濯ではなく、糊付けと一連のものと考えられる。裂織や「つぎ」の前の段階として古着やボロの類を洗い、糊を付けて張板に張り、皺をのばすまでの作業であろう。食事は毎日のことだから別として、当時の女性が最も時間をとられたのは、季節ごとに家族の衣服を調えることだったと思われるから、時間的に一番余裕のある冬期間に、できるだけ準備をしておいたのであろう。食い物は毎日の食事の準備ではなく、漬け物や味噌の仕込み等を主体とした労働であったのかもしれない。



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