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 第五章 教育と地方文化
   第四節 庶民の生活
    五 女性の生活
      慰謝料と養育料
 離縁と決まると、持参した衣類・諸道具は実家に戻る際に原則として返却された。結婚する時にあらかじめ離縁の際の返却を取り決めた例(京藤長右衛門家文書)、衣類と「手間代」として金一両を与えいったんは離縁にするが、よりを戻した場合は返却すると取り決めた例(室屋笠松家文書)などもある。「包銀」「鼻紙代」「給金」「手間代」などと称し、慰謝料が支払われる場合も少なからずあった。
 勝山町に住む小兵衛・とわ夫婦に離婚の具体例をみてみる。夫婦には従来からの借金二〇両があり、そのうえ、天明元年(一七八一)の大火で店が類焼に罹ったため家業が困難となった。そこで、夫はしばらく江戸稼ぎに出、とわは片手間の商売をして帰りを待つことになった。妻が始めた商売が軌道に乗ったため小兵衛も帰国し、一〇年にして前借金二〇両も返し、諸道具・仏壇も買い調え、一応生活には困らないようになった。生活には余裕が生じたが次第に夫婦仲が悪くなり、別居状態からついには離婚の破局に至った。ところが慰謝料の額で話合いがこじれ、町年寄に裁定が持ち込まれた。とわ側の、「これまで夫に一三年間も連れ添い今更離縁と言っても行きどころがない」との主張が認められ、以下のような裁定が下された。これまでのとわの内助の功を勘案し、「是迄友かせき(共稼)同様之奉公人」とみなし、年四〇匁の給銀に換算、ただし一五匁は諸雑用として差し引いて、二五匁に一二年分を乗じた三〇〇匁を支払えとした。女性の立場をよく考慮した裁定であり、「友かせき」という言葉に注目される(室屋笠松家文書)。
 ところで離婚の際、夫婦に子供がいない場合はさして問題はないが、一人でもいた場合、どちらが養育するかが大きな問題となってくる。原則としては男親が引き取ることになっていたが、地域によっては女子は妻に付けるところもあった(福岡平左衛門家文書)。しかし、子供が乳呑児であればなおのこと、「未タわらんへ(童)之姿故無拠はなれ不申」(鳥山治郎兵衛家文書)とあるように、実際は母親が引き取ることが多かった。鳥山家の場合は、夫側が養育費用として二両を支払い、いつでも引き取ると取り決めている。



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