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 第五章 教育と地方文化
   第四節 庶民の生活
    五 女性の生活
      通婚圏と結婚年令
 福岡平左衛門家の「用留」により、鯖江藩領下新庄組の通婚圏をみてみよう。「用留」は明和八年(一七七一)から明治三年(一八七〇)まで一〇〇年分残っているが、ここでは万延元年(一八六〇)までの九〇年間を対象とした。下新庄組は、現在の鯖江市の西、三里山周辺に位置する村々で、鯖江はもちろん府中にも近く、現在の今立町・池田町への玄関口に当たる地域である。文化十四年(一八一七)には、下新庄・中新庄・川島・橋立・原など一五か村からなっていた。図29は、九〇年間の婚姻の事例九六〇件をもとに作成した通婚分布図である。九〇パーセントが半径七キロメートル内に分布しており、日野川中流域および五箇・河和田地域の村々がその大半を占めている。この地域は、福井藩領・幕府領・小浜藩領・西尾藩領など所領が錯綜している。しかし、婚姻に関する限り藩領の違いはほとんど関係なく、近隣の村々とのつながりの方が強かったことがうかがえる。事例的には少ないが、比較的遠方の町や村に嫁いだ例として、福井や松岡あるいは敦賀の町家、大野藩領の中手村などがあげられる。町家から村へ嫁ぐ例は数えるほどしかないが、逆に村から鯖江や府中の町家への例は二〇例余、中下級の武士に嫁いだ例が一〇例余みられる。特定の村との通婚については、下新庄村を例にとると、粟田部や横越村とのつながりが比較的強いといった程度で、どの村ともにあまり差がない。
図29 今立郡下新庄組の通婚圏

図29 今立郡下新庄組の通婚圏
 20人以上の村
  ア.粟田部(46)  イ.鯖江(39)  ウ.上河端(34)
  エ.横越(33)   オ.北(33)    カ.瓜生(24)
  キ.下河端(24)  ク.大野(24)   ケ.落井(22)
  コ.舟枝(20)
 「用留」には欠年や精粗があるので単純に平均化はできないが、災害や飢饉でないかぎりは一年に一四、五件の結婚があった。災害に見舞われた文政三年(一八二〇)は四件、同十一年は二件、飢饉の最も深刻だった天保七年(一八三六)から九年にかけては合計しても一〇件にすぎない。季節的には農繁期を前にした三月が最も多く二月がそれに続き、この両月で八割を占める。表164は九六〇件の事例のうち、年齢の判明するもの六八五件をもとに作成したものである。年齢層でみると、二〇歳から二四歳の層が圧倒的に多い。年齡的には一九歳が七〇件、次いで二〇歳六六件、以下二二歳、二四歳がわずかの差で続いていて、二四歳までの層で六五パーセントを占める。

表164 今立郡下新庄組の結婚年令

表164 今立郡下新庄組の結婚年令



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