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 第五章 教育と地方文化
   第四節 庶民の生活
    四 子供・若者・老人
      若者組の組織と規定
写真136 丹生郡新保村若連中定書

写真136 丹生郡新保村若連中定書

 若者組の組織についてはよくわからない部分が多いが、例えば組の頭を指す言葉として、丹生郡新保村の史料には年行司三人、丹生郡海浦の史料には惣代などとある。幕末の丹生郡下大虫村の「若連中掟書」(大虫神社文書 資6)には、近年若連中が大勢になり不埒になったので、頭締り方一人を置き、また組を七つに分け小頭を七人たて七人衆とし、彼等によって組を運営させるとある。
 組の運営は掟をもとに行われたが、掟の多くは、幕末の風紀の乱れにかこつけて、村役から一方的に押し付けられた内容のものが多い。例えば、大酒を慎む、博奕・喧嘩口論を慎む、家業に出精する、その他、親への孝行と主人への忠義、公儀御法度の遵守などである。しかし、これらの箇条は本来の若者組規定とはいいがたく、支配者側の体制維持の意味合いが濃いものとなっている。元来、若者組規定は、村内の秩序維持や女性とくに村内の未婚の女性への心遣い、結婚式など祝儀の際のかかわり方、若者宿とその運営など、集団としての行動のありかたや組織の維持に関するものが中心であったと思われる。例えば、「百姓家ニ而者第一火之本盗族之用心、又ハ非常ヲ誡メ何ケ不筋成事を糺ス者ニ候」(武長宗一家文書)、「若者頭ヨリ申付候儀者何事ニ不寄急度相守可申」「婿祝酒申請候義者不相成候事」(白鬚神社文書)などにその痕跡をうかがうことができる。
 集会宿・庚申待の集会・出銭講・集銭会・御講・寝宿などの言葉から、定期的な会合が若者宿などで常時もたれていたことがうかがえる。宿の運営費用は、草鞋・草履・縄などを売却、個人個人への割付、その他、婚礼祝儀の際に婿祝酒・新造祝などと称して酒・金を申し請けたりして調達した。
 若者組は、村内においては独立した組織として強い団結力を誇っていたから、組の団結を損なう行動、掟破り、あるいは組に無承認での男女交際などについては組外しなどの厳しい制裁が課された。いったん組を外されると、親はもちろん親類や有力者にまで仲介を頼んで詫を入れ、「何事ニ不寄御連中御定之事仰之通り堅相守可申」(能登野区有文書)との一札まで入れ、ようやく再加入が許された。



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