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 第五章 教育と地方文化
   第四節 庶民の生活
    三 通過儀礼
      厄払いと年祝い
 厄年は、人の一生のうちで特定の年齢を災厄の多い年として忌み慎み、無事に通過するために厄払いをし、その無事を祝うという儀礼である。高齢者に対してはその長寿を祝福しつつ、またそれにあやかるための祝を行った。
 厄年に当たる年齢については、地方により違いがあるものの、一般的に男は二五歳・四二歳の厄、女は一九歳・三三歳の厄としてしられる。寛保元年の「四十二祝儀帳」(高橋刀外字家文書)、安政二年の「四十二役祝儀帳」(武田小太夫家文書)など、四二歳の厄の史料が比較的残っている。これらによれば、祝として酒・餅米・お金などの他、なすび・いも・人参などの農作物が届けられ、返礼として近所や寺社に扇子や酒が配られている。大飯郡上鎌倉村の「四二名開之祝ひ」(井ノ元道雄家文書)からは、災厄を逃れるために名前を変える風習があったこともしられる。
 年祝いとしてまず行われるのが還暦の祝で、六〇年で再び生まれた年の干支に帰ることから始まった。文化十二年の小浜の古河家の例では、鏡餅と酒が三つの神社に、鏡餅と金一〇〇疋が寺に配られ、その他親戚や出入りの者に餅八斗を搗いて配った(古河家文書)。次に八八歳の米寿の祝を紹介する。大野郡三谷村の甚兵衛の米寿の祝は、安政五年正月十七日に行われた(山場甚兵衛家文書)。祝儀として酒・米・銀札などが、家中初め村内・村外の親戚や知人から届けられた。その返礼として餅が配られた。八八歳は当時にあっては稀な長寿であり、藩主からも祝が届けられた。



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