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 第五章 教育と地方文化
   第四節 庶民の生活
    二 家制度と家督相続
      志比境村における家督相続
 家督は原則として長男が相続している。理由は判然としないが、二男が家を継ぐケースは新右衛門家と九兵衛家の二例ある。九兵衛家の場合は次のような経過をたどる。長男の権太郎(のち七郎右衛門)は、宝永五年に三二歳で徳兵衛娘二一歳を娶り、長男でありながら正徳元年に家を出て、新たに七郎右衛門家を立てた。この時すでに図28の七郎右衛門家は六左衛門家となっている。二男藤次郎(のち藤十郎)は、宝永元年に二一歳で父の地内に地名子として姉三三歳をともない別家独立、すぐ後に高持になる。ただし姉は翌年再び父方人別に記載されている。同二年惣右衛門と改名、正徳元年父が亡くなり、この年から母を引き取り同時に結婚。これを契機に九兵衛家は分家の惣右衛門が継ぐことになる。同三年の人別帳では九兵衛を名乗り、四二歳・三九歳の姉二人も引き取っている。
 商家でいえば屋号に当たる家名は、必ずしも受け継がれているとはいいがたい。家そのものは血統的には続いているが、固有の家名として定着する段階には至っていない。家名を世襲しているのは二家のみで、いったん世襲しながら後に改名している家が二軒ある。四家は家主が変わっていないのでわからない。比較的若い年齢で家督を継いだ家主は、後々家名を世襲する可能性はあるものの、二例という数字は、元禄期の時点でまだ完全には家名の固定化が進んでいないことを示している。改名(名替え)については第三項で述べるが、元服時に名替えがあるのは当然としても、七郎右衛門のように七〇近い歳で改名する者もあることを含めてよくわからない部分が多い。
 家督の相続は、後家となった母から家主の地位を受け継いだ事例もあるものの、ほとんどが父の死を契機としている。隠居の事例が三例みられるが、この場合の隠居は別家を立て居住を別にしているわけではなく、家主の地位を譲ったということであろう。図28の七郎右衛門は元禄十四年七六歳で隠居し教意を称している。他の二例は伝右衛門が七二歳で、与三左衛門が七〇歳で隠居している。隠居と長男の結婚は無関係である。



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