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 第五章 教育と地方文化
   第四節 庶民の生活
    二 家制度と家督相続
      志比境村における婿名跡
 婿を迎えた家は、四郎右衛門家と先にあげた太右衛門家・七郎右衛門家の三家である。太右衛門家の場合は、男子がいなかったため養子夫婦がそのまま両親の家に居付いている。しかし、残りの二家の夫婦は、幼い弟が無事成長するまでの中継的要素が濃く、途中人別帳からみえなくなる。四郎右衛門家の場合、当主が元禄三年に亡くなり長男が幼かったため一時後家が家主となる。同八年長女に婿三太夫を迎え、三太夫は同十二年四郎右衛門を襲名する。その後長男が成長し同十四年四郎右衛門を襲名することになり、婿は元名の三太夫に戻った。
図28 七郎右衛門家の家族構成

図28 七郎右衛門家の家族構成

 分家および婿名跡双方の事例がみられるのが図28の七郎右衛門家である。七郎右衛門は元禄七年六九歳の時に六左衛門を称するが、この時の家族は夫婦と長男仁左衛門夫婦、次男七蔵と長女くりおよび孫娘かめ・そめの八人である。長男は同十四年父の隠居にともなって家主となった。妻が同十二年に亡くなったため、翌年二人目の妻を迎えた。先妻との間に生まれた長女かめに、同十五年先年から下男として召し抱えていた又市を婿に迎えた。しかし、この夫婦は宝永六年の人別帳には名がみえない。夫又市の実家に移ったのかもしれない。仁左衛門倅奥右衛門は正徳六年、父の死去を契機に仁左衛門を名乗り家督も相続した。七郎右衛門二男の七蔵は元禄十年二五歳で兄の地内に地名子として別家独立、すぐ後に高持になる。同十四年に結婚、宝永元年以降惣左衛門を名乗る。



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