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 第五章 教育と地方文化
   第四節 庶民の生活
    一 庶民の倫理
      高鳥家の家訓
 高鳥家は遠敷郡太良庄村で庄屋を勤めた家である。当家には表156にあるように二点の家訓が残されている(高鳥昭吾家文書)。
 最初に享保(一七一六〜三六)期の家訓の一部を紹介する。初めのところは息子虎之助に教え諭すように書かれている。一〇歳になったら親類の人たちの意見を聞き、他人であっても知徳ある人を手本とすべきである。一五歳になったら藩の役人はもちろん、親類一族に対しても礼儀をもって当たるようにし、これを生涯忘れるなと説く。以下網羅的に述べられているので農業経営と家族融和の二つの項目にしぼってみていくことにする。
 農業経営に関しては以下のように説く。百姓と生まれたからには第一に農業に心掛け、年相応の作業をすべきである。農業で名をなす者になろうと思うなら、小さい時から知識・技術(「農芸」)を体で覚えこんでおくべきである。自分自身に「農芸」なくしては家来を上手に使うことはできない。作物には時節というものがあるから、決してその時節を違えてはならない。田畑・山林の見廻りは主君・父母を遇するごとく、諸作の手入れは妻子を愛するように心掛け、家来は己の手足のごとく、牛馬は道具として使うべきである。ここには百姓としての心構えや勤労観がよく示されている。
 家族の融和については子育ても含めて述べている。親に対しては忠孝を第一とすべきで、意に逆らうことなく、衣食に気を付け、病気などの時にはとくに気を遣うべきである。兄弟親類とは常に仲良くするべきで、災は結局のところ不和から生ずるものであり、ついには身上の潰れにもおよぶ。子供はなによりも丈夫に育つよう養生を第一とするべきである。しかし我侭は押さえ、また親を手本にしがちなので十分気を遣う必要がある。子供の養育にまで目を向けた家訓はこれ以外にはなく、その意味では貴重な史料である。
 その他、文字を知ることの大切さ、信仰心と先祖供養、村掟など法の遵守、人付合いの心構えなどについても述べている。また、慎むべきこととして「朝寝・昼寝・遊山・夜遊び・おどけ・ざれこと・狂乱大酒・好色・博奕・音曲・短気・悪口・喧嘩口論・訴人公事沙汰・徒党」をあげている。
写真129 高鳥居吉行家訓

写真129 高鳥居吉行家訓

 次いで元文三年(一七三八)の家訓を紹介する。ここには他の多くの家訓でもとりあげている項目が網羅的に書きあげられている。「子孫伝記」「遺書之事」「神仏信仰之事」「先祖を祭る事」「御公礼議(儀)を立る事」「親に忠孝を励事」「子孫寵愛する事」「身と心の持様の事 附朋友交り之事」「家業勤る事」「家来召仕事」「雑説の事」、以上の一一項目である。そのうち「子孫伝記」を除いて各項目ごとに詳細な解説が施されている。とくに「身と心の持様の事」に最も多くをさいているので、ここから時間・火事・酒・生き方について述べた部分を要約して紹介する。
 時間の大切さについては次のようにいう。時間というものはまたたく間に過ぎるものであるから、物事すべて早目早目に対応しておくのがよい。例えば一日が始まるに当たって、朝のうちから準備怠りなく調えておけば、日中の仕事もはかどり夜は一家団欒のうちに健やかに眠りにつける。このことはなにも一日に限ったことではなく、一年ひいては人間の一生についてもいえることである。火事の恐ろしさについても執拗に説く。火事は自家のみならず隣家を初め近所に多大の迷惑をかけ、時には人命をも損ない、世間全体の宝を一瞬のうちに費やすものである。くれぐれも火の用心に心掛けよ。酒のもつ二面性については次のようにいう。酒は百薬の長ともいわれ、祝事に欠かせないものとして、また人と人との間を和やかにする潤滑油としても必要なものである。しかし万病は酒より生ずるともいわれるから大酒は決してしないよう強く戒めてもいる。
 一番最後に望ましい生き方について述べている。私欲をもつことなく人を偽ることなく正直を本とし、かたよることのない中庸の心としての誠を中とし、この二つが備わってくれば必然的に身についてくる徳を末とし、この三つを拠りどころに人生を送るべきであるとする。具体的な生き方として、「若年の時は随分諸芸・家業をならい、一七、八歳の頃からは習い覚えた所作を懈怠なく勤め、妻子を持ったならば一層心を入れてそれぞれの励みを伝え、親から家督を譲られたら家職に励み、隠居の後は世を逃れるのが人の法である」と述べる。これらの箇条からは、実生活での経験に裏打ちされた実践的な倫理観がうかがえ、非常に興味深い内容となっている。



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