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 第五章 教育と地方文化
   第三節 新しい学問
     四 大野藩と蘭学
      土井利忠の蘭学
 この項ではとくに出典を示さない限り『柳陰紀事』によるものとする。第七代大野藩主土井利忠は学問に対して意欲的であり、とくに蘭学には強い関心を持っていた。天保十一年(一八四〇)には、自ら江戸藩邸に小浜藩医であり当時一流の蘭学者であった杉田成卿(玄白の孫)を招き、洋書を習誦しヨーロッパの事情を尋ねている。また、小関三英も時々来邸し、利忠のために蘭書の講義をした。また、嘉永六年(一八五三)には佐久間象山や勝麟太郎(海舟)を江戸藩邸に招いている。このように利忠自らが蘭学を学んでいることに対し、藩士の中には「公此頃蛮夷ノ書ヲ読ム………諫止セサルヲ得ス」として快く思わない者もいたが、「然レトモ別ニ声色ノ嗜ナク、亦飲酒ノ好ナシ、故ヲ以テ姑ク是ヲ舎ク」ということで、これをやめさせようとする者もいなかったという。この蘭書等から得た知識が、利忠がその在任中に行った藩政改革に大きな影響を与えることになるのである(第六章第二節)。



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