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 第五章 教育と地方文化
   第二節 地方文化の展開
     三 寺社参詣の普及
      物見遊山の旅
 先述したように伊勢参宮や本願寺参拝にかこつけて京都・奈良の寺社や名所旧跡を訪れることはよくあった(表148)。野尻源右衛門の妻等女五人と下男二人は、安政元年(一八五四)二月十三日雪の大野を出発した。越前では東郷に十三日、府中に十四日、今庄に十五日、敦賀には十六日に泊まり気比社に参拝した。近江に入り海津には十七日に泊まり竹生島に渡り観音を参拝、西近江路の河原市は十八日、十九日は衣川に泊まり、坂本西教寺から大津に出て二十日は大津泊まり、翌日三井寺・石山寺を参拝し、二十一日の昼時分京都に入った。途中何か所かを参拝したこともあり九日間を費やしている。京都では五日を費やし西本願寺・知恩院・本能寺・加茂社・吉田社・北野社・金閣等の寺社はもちろん、市中の主要な名所旧跡はすべて見物した。その後、伏見稲荷から宇治の平等院を参拝、次いで石清水八幡から大坂に入り、ここでも四日間を費やしおもに芝居見物をした。三月三日大坂を出て信貴山を参拝し奈良に入った。二日間で大仏殿・春日社・興福寺等おもな寺社を参拝、九日には伊勢の二見浦を見物。十日に内宮・外宮・天の岩戸などを順拝、御師の山口角太夫宅では二日間宿泊した。十二日角太夫宅を出立し途中一身田高田本山参拝、十四日四日市、十五日大垣に泊まり、十六日西国三十三か所霊場の一つ美濃谷汲山札所観音を参拝し、関ケ原に出て木之本地蔵参拝。十七日は板取に泊まり、十八日は福井泊まりで十九日に無事大野にたどり着いた。三七日間の物見遊山をまじえた旅であった(野尻源右衛門家文書)。

表148 長旅の事例

表148 長旅の事例




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