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 第五章 教育と地方文化
   第一節 藩校と庶民教育
     二 兵学と武芸
      小浜藩の武芸
 ここでは、小浜藩の「由緒書」(酒井家文書)等をもとに述べていきたい。剣術では、流派はわからないが明和頃から長谷川家や渡部家が指南役を勤めている。また、文化十二年小野派一刀流の浅利又七郎が江戸で剣術師範役として五〇石で召し抱えられ、以後家中でも一刀流の目録を受ける者が増えた。ちなみに千葉周作や山岡鉄舟といった幕末の著名な剣客も彼の門に学んでいる。他に二天一流や富田流を修行する者も多かった。居合では天羽流と田宮流が行われ、寛政十二年に田宮流の塚原十左衛門昌嘉が剣術師範役を仰せ付けられている。
 弓術においては、明和八年湯川伴五郎直信が「日置流弓指南役」を仰せ付けられ、二〇石の加増をうけている。以後湯川家は代々弓術指南役を勤めている。家中でも日置流の印西派や竹林派を修行する者が多く、目録を伝授される者もいた。
 鎗術では、高木流の嶺尾新十郎が安永七年(一七七八)に家中指南役になっている。他に鏡智流や疋田流、宝蔵院流を修行する者が多かった。
 馬術については、小野打家において安永頃から大坪本流が修行され、文久三年(一八六三)から明治三年(一八七〇)まで馬術師範役を勤めていた(水江幸雄家文書)。大坪新流では弘化元年に猿橋瀬左衛門が馬術指南役を仰せ付けられている。
 砲術では、武宮流・窺源流・横山流・明鏡流などが行われた。嘉永頃からは西洋流(高島流か)も導入されている。師範家としては、須田家・井上家などがあげられる。



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