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 第四章 飢饉と一揆
   第三節 化政・天保期の一揆
     二 文化・文政期の百姓一揆
      浜坂浦借金証文
 化政期は百姓一揆の高揚した時期であったから、一揆にはいたらないまでも、それに近い動きが各地でみられた。福井藩領坂井郡浜坂浦の借金証文(常名家文書)一件もその一つである。
     借用申金子証文事
 一、金子拾五両(印)         文小判也
                  也
 一、銀子六拾五匁五分(印)
 右者借用申処実正ニ御座候、御返済之儀者来出船まへ(前)急度御返済可仕候、若間違候時者、私共罷出急度貴公様少茂御難たい(題)懸申間敷候事、為後日加印依而証文如件、
     文化八年
        未十二月廿九日      借主
                           七郎右衛門(印)
                        木引
    両替六十弐匁三分           市右衛門 (印)
                           清   六 (印)
        出店甚右衛門様      権
                           彦次兵衛 (印)
 文書の意味だけをとると、文化八年末に七郎右衛門が廻船業を営む浜坂浦出店甚右衛門から、金一五両と銀六五匁五分を借金した証文にすぎない。「出船前」に返済するとあるから、おそらく翌年春の船の出航前までに返済することを約束したと解釈することができる。
写真103 浜坂浦七郎右衛門借金証文

写真103 浜坂浦七郎右衛門借金証文

 ところで、これにはもう一点「文化八未年十二月廿九日改メ」とある関連の文書が存在する(常名家文書)。それには、文化八年十二月二十四日夜四ツ時、村人およそ一〇〇人が「蓑虫」となって出店に詰めかけて来たため、二十九日に金一五両と銀六五匁五分を貸し渡し、この元金は「明申年二月迄ニ返済ニ相成請取」ったが、無利子扱いとなったと記されている。内容から推して出店甚右衛門の覚書と思われる(『芦原町史』)。
 これらから判断すると、「蓑虫」側は金を強奪したのでないことを証明するために先の借金証文を作成し、しかも返済の必要がないことを出店に確認させたのである。経済的に困窮した浜坂浦の百姓たちが「蓑虫」行動を起こし、脅迫された出店は借金返済の形式で金を与えることで、打毀しにいたるのを防いだと考えられる。



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