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 第四章 飢饉と一揆
   第一節 飢饉と災害
     四 災害とその対策
      小浜藩の社倉
 社倉は飢饉などに対処して作られた米穀の貯蔵施設である。小浜藩は延享元年(一七四四)五月に社倉の設置を命じ、下中郡谷田部村・上中郡堤村・大飯郡和田村・三方郡大薮村の四か所に社倉を設け、各倉に貸米として五〇〇俵を下げ渡した(『小浜市史』通史編上巻)。社倉米は毎年三月に利子月一歩で困窮者へ貸し与えられ、その米は欠米や蔵敷その他の雑用を賄うため米一俵(四斗)に二升の余米を加えて、十一月中に返すこととされた。貸与の対象は貧窮によって「身代暮兼」ねる者とし、村の庄屋・組頭が困窮の様子をよく取り調べ、困窮者をいくつかの組に編成し貸与の量を藩に申し出ることとした(市瀬吉坂家文書)。
 延享元年六月、三方郡神子浦の困窮者二七人(二組に編成)へは米六俵が、大飯郡上下村の困窮者四一人(四組に編成)へは米一七俵二斗八升がそれぞれ貸し与えられた。一人当たりの貸与量は、神子浦では二升から三斗五升まで、上下村では三升から九斗までである。返済にあたっては、編成された各組が連帯責任を負った(大音正男家文書、村松喜太夫家文書)。



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