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 第四章 飢饉と一揆
   第一節 飢饉と災害
    二 多発する災害
      大規模な山崩れ
写真85 猪野口村の供養碑

写真85 猪野口村の供養碑

 大災害となった山崩れの例に女神川上流のものがある。享保十一年二月二十九日、大野郡平泉寺村の山奥の「十月平」が高さ二〇丈、広さ一五、六町にわたって女神川へ崩れ落ちた。崩れ落ちた土砂は川を氾濫させ、下流の猪野口村を襲い、さらに九頭竜川筋をせき止めたため、対岸の下荒井村は洪水となった。この山崩れによる被害は、平泉寺村で死者一五人、潰家二軒、猪野口村で死者七五人、死牛馬一三頭、五九軒のうち潰家三四軒であった。平泉寺村高二六七四石余のうち六七七石余が「大石砂入泥入」となるなど田畑にも大きな被害があった(『平泉寺文書』)。
 下荒井村ではこの山崩れを「雪なたれと共ニ山崩れ」ととらえており、春先の雪解けが原因の一つであったことが知られる。下荒井村の田地は川のようになり、百姓家六軒が家財道具とともに押し流されたほか、流失を免れた家も残らず水が入り、夫食や種物などすべてを失ったが、村人は山に避難していて助かった(鳥山治郎兵衛家文書 資7)。また、この時大野・勝山への往還道もふさがってしまった。
 



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