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 第四章 飢饉と一揆
   第一節 飢饉と災害
    一 江戸初期の飢饉
      万治・寛文の飢饉
 『拾椎雑話』には、万治三年(一六六〇)・寛文十年(一六七〇)が飢饉であったことが記されている。万治三年は七月七日小浜城下で五尺ほどの洪水となり、二十三日の洪水では城中三の丸まで水が入り米蔵も水で濡れたと伝える(「御自分日記」)。続いて八月二十日にも出水し、九月二十日は大荒れであった。十一月十日には小浜町中の飢人二八〇〇人余りのうち一八八三人に藩から蔵米三〇〇俵が下されたが、これにもれた約一〇〇〇人が「迷惑」したとのことであった。
 寛文十年一月は米が高値となり、藩は蔵米を「御救」として売った。



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