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 第三章 商品の生産と流通
   第三節 日本海海運と越前・若狭
    三 商品流通の新展開と越前・若狭
      船頭の才覚と船中掟
 とくに買積経営を行う場合、優秀な船頭となるためには航海技術の実務経験、乗組員の人事管理能力とともに、商売に関する才覚も必要であった。読み書き算盤はもちろんのこと、帳簿付けから果ては文化的素養までが商業上の交渉に結び付いたから、そのための教育、学習は重視された。多くの船頭や水主を輩出した坂井郡安島浦でも、地元の学者田中和祐に依頼して、船乗りとして身につけるべき理念を「船方心の掟」にまとめ船頭寄合の席に備えている(『三国町史』)。その反面、三国湊の室屋惣右衛門家の船頭庄九郎のように、老年となり廻船の営業収益が落ち込んだことを理由に、陸に上がるよう言い渡されることも生じた(『三国町史料』)。
 一方、船主としては、船頭が磨いた才覚を乱用して廻船経営に損失を与えることを防ぐため、「沖船頭条目」などと呼ばれる船中掟を作成し、船頭にその遵守を求めている。その内容は、小浜湊の古河屋嘉太夫家では安全性を無視した早春や晩秋の航海、親方荷物に差し支えるような帆待物の積込み禁止などがうたわれ(古河家文書 資9)、三国湊の石屋文右衛門家では荷物の延売、潜商い、為替の請印、金子の貸借などの禁止のほか、日本海を上下する際は必ず船主のいる三国湊に立ち寄りうかがいを立てるなど細かく定められていた(加納家文書)。逆にいえば、船主が損失につながりかねないと思われたこうしたことが、現実の廻船経営では船頭の裁量で日常的に行われていたことを示すものであろう。
 むろん、寛文七年(一六六七)の「浦々高札」にあるとおり、積荷を勝手に売却しながら難船で積荷を捨てたと称するような明らかな犯罪行為は、幕府法により厳重な処罰の対象であった。なお、同年の「浦々高札」が福井藩領の浦々に掲げられたのは同九年である。



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