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 第三章 商品の生産と流通
   第三節 日本海海運と越前・若狭
    三 商品流通の新展開と越前・若狭
      船頭と水主
 廻船業は船を造ればそれでできるわけではなく、その船を動かす乗組員は欠かせない。船往来に「船頭・水主共何名」と記されるように、それは船頭と水主に大きく分けられた。水主の中でも、事務長で経理担当の知工、航海長である表、船内の取りまとめ役である親父を三役と呼び、後は若い衆とも呼ばれた一般の水主、そして見習いで炊事や雑用を担当した炊に分かれていた。なお、船頭は「板子一枚下は地獄」の世界を生き抜くため、配下の水主たちには気心の知れた同じ浦の出身者を乗せる場合が多く、彼等は同じ浦の先輩たちから航海技術を実地に経験し学んだのであった。
 彼等乗組員の給与体系は固定給と歩合給の二本立てになっており、固定給は一般の水主で年間一両程度、三役でもせいぜい三両前後であった。これを補うのが歩合給で、船頭に対しては「帆待」、他の船中の水主には「切出」が支給されるのが通例であった。「帆待」とは、船頭に一定量の私荷物を積んで売買することを認めたり、あるいは「儲け一割」と称して廻船の収益の一割を船頭に与えるものであった(「三国湊問丸日記」)。一方、「切出」は船頭以外の水主に対して、積荷の出目を余得として分与するもので、幕末には積荷、売却地により一定の率を定めて与えるようになった。
 これらは、いずれも廻船経営で得られる利益の一部を与えて経営努力を促すものであり、どのような荷物を積みどこで売却して利益を上げるのか、いかに船腹を満たすために運賃積荷物を引き受けるかという船頭の才覚が、経営上の利益はもちろん、乗組員の給与にまで影響した。



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